02 問答が意味の単位であるので、問答が真理値を持つ (20220722)

[カテゴリー:問答の観点からの真理]

前回書いたように、真理について、分析/綜合、アプリオリ/アポステリオリ、必然/偶然、事実的/規範的、等の区別が可能かどうか、可能だとするとどう区別するのか、を考えたいと思いますが、私は、真理は命題や事実の性質ではなく、問答の性質だと考えます。あるいは、「…は真である」という真理述語は、命題や事実について述定されるのではななく、問答(ないし問答関係)について述定されると考えます。そこで真理の区別の前に、このことを説明したいとおもいます。

#問答推論的意味論は、言語的意味の最小単位を命題ではなく、問答だと見なす。また、問答推論的語用論は、発語内行為の最小単位も、問答だとみなす。

文の意味は、語や語句の意味の結合によって成立しますが、その結合は、問いと答えの結合として成立します(これについては、『問答の言語哲学』「2.1.3.2 命題内容の理解と問答によるコミットメントの結合」(pp. 101-104)で説明しました。またその後、考察を加えて本ブログのカテゴリー「問答の観点からの認識」第67回で説明しましたので、それらをご参照ください。)。発話は焦点を持ちますが、その焦点は問答の答えの部分におかれるものです。発話が問答の結合によって成立するとき、問いに対する答えの部分に焦点があります(これについては『問答の言語哲学』「2.2 発話が焦点を持つとはどういうことか」(pp.104-132)で説明しました)。焦点は、発話が問答によって成立することを示しています。また、発話の発語内行為も、その問答によって成立します。なぜなら、問いは、返答の発話の発語内行為をすでに規定しているからです(これについては、『問答の言語哲学』「3.1 質問と言語行為」(pp.159-178)を参照ください。

#問答の意味は、問答推論関係によって示される。

・推論的意味論は、主張の意味を推論関係で説明するが、これに対して問答推論的意味論は、問いの意味を、問答推論関係で説明します(これについては『問答の言語哲学』「1.2 推論的意味論から問答推論的意味論へ向けて」(pp.35-82)で説明しました)。しかし、主張や問いが意味の単位ではなく(『問答の言語哲学』では、このような理解をしていました)、問答が意味の単位であるとすると、問答の意味を、つぎのように問答推論関係で説明することができるでしょう。

(以下は、「問い」の意味ではなく、「問答」の意味の説明です)

<問答Aの意味は、問答推論(前提の問いと結論の答えを結合する推論)と、問答Aの上流推論(より上位の問いからそれを解くための問い(問答Aの問い)を導出する推論)と、問答Aの下流推論(より上位の問いに答えるために、問答Aを前提とし、そこからより上位の問いの答えを導出する推論)によって、明示化される。>

#問答は、意味を保存し、真理を保存する。

・論理的語彙は、保存拡大性という特徴を持ちます。つまり、論理的語彙を導入して除去することによって、それ以前に可能であった推論を不可能にしたり、それ以前に不可能であった推論を可能にしたりしない。論理的語彙の保存拡大性は、論理的語彙の使用が、他の語彙の意味を変えないこと、他の命題の真理値を変えないことを示している。問いの語彙と形式もまた、同様の保存拡大性を持つ。つまり問答によって、他の語彙の意味を変えないし、他の命題の真理値を変えない(これについては『問答の言語哲学』「1.2 推論的意味論から問答推論的意味論へ向けて」(pp.35-82)で説明しました。保存拡大性については、このブログでも何度か考察を加えてきました)。

・この議論は、問答を意味の単位とみなすとき、どうなるでしょうか。論理的語彙と問いの語彙の使用によって、それ以前の通常の推論の妥当性に影響を与えず、また、それ以前の問答や問答推論の成立にも影響を与えないとすると、これらの語彙の使用は、それ以前に可能であった問答の成立にも影響を与えないでしょう。つまりこれらの語彙の使用は、問答の意味を変えないし、問答の真理値も変えないでしょう。

#問答が真であるとは、どういうことか?

<問答が真である>とは、従来の表現で言えば、<問いが健全であり(真なる答えを持つものであり)、答えが真である>ということです。従来の考えでは、<問答が真である>つまり<問いと答えの組み合わせが真である>とは、<その問答が、問いと答えの意味に基づいている、あるいはそれに加えて事実に基づいている>ということです。また、<問いが健全である>とは、<問いの意味に基づいて、答えることができる、あるいはそれに加えて、事実に基づいて答えることができる>ということです。

・しかし、問答が意味の最小単位であり、問答が真理値を持つのだとすると、「真なる答え」という表現はできないし、「問いが健全である」ということの上記の定義もできなくなります。なぜなら、真であるのは問答であって、答えではないからです。

・また<問いと答えの組み合わせが真である>とは、<その問答が、問いと答えの意味に基づいている、あるいはそれに加えて事実に基づいている>ということもできなくなります。なぜなら、<問いと答えの意味が、問答推論関係に基づく>のであり、<問答推論関係が、問いと答えの意味に基づく>のではないからです。

では、<問いと答えの組み合わせが真である>とはどのようなことでしょうか。

<真理は、命題の性質ではなく、問答の性質である>と考えようとするならば、この問いにどう答えるかが最も重要なことになります。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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