10 再定義をやり直します (20220703)

[カテゴリー:平和のために]

(四苦八苦しているうちに、ながらくupできずに、すみませんでした。)

前回の内容をもう一度まとめると次のようになります。

理性の私的使用も公的使用も、事実判断に関しては、同じものを前提します。異なるのは、価値判断に関する前提です。「公的使用」は、価値判断に関しては、普遍的に妥当するアプリオリな規範(カントでは道徳と法)だけを前提として推論しますが、「私的使用」は、それに加えて、アポステリオリな(経験的な)価値命題(世界を記述する個人や集団や共同体の利害、職務や集団や共同体の規範)もまた前提に加えて推論します。

したがって、理性の公的使用と私的使用の区別は、3つの区別(すなわち、事実判断と価値判断の区別、アプリオリな判断とアポステリオリな判断の区別、分析判断と綜合判断の区別)を前提しています。この3つの区別は、現代哲学では批判されることが多いものです。したがって、理性の公的使用と私的使用の区別をもちいて、戦争を防ごうとするのならば、これらの区別を再考して、その再定義を与えることが必要になります。

以上が前回のまとめです。

分析/綜合、アプリオリ/アポステリオリの区別の再定義については、[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]の33回~37回で試みました。そこで、この再定義をもちいて、理性の公的使用と私的使用の区別についての再定義を行うことができるだろう考えました。ただし、それにいざ取り掛かろうとすると、以前に提案した再定義について、いろいろと考察したいことが出てきました。

そこで、真理についての、事実的/規範的、アプリオリ/アポステリオリ、分析的/綜合的、必然的/偶然的、という区別について、別のカテゴリーでしっかりと論じてから、このカテゴリーにもどって、理性の公的使用/私的使用の再定義を論じることにしたいとおもいます。

以前に「問答の観点からの真理論」という書庫(カテゴリー)を立ち上げていました。今回気づいたのですが、数年前にブログのアドレスの引っ越しをしたとき、その書庫(カテゴリー)が消えていたようです。そこで、「問答の観点からの真理論」を復活させて、できれば、かつての投稿も復活させて、真理についての論じることにします。