97 問いに対する答えが真であるとはどういうことか(What does it mean for an answer to a question to be true?)(20231221)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

93回と94回では、問いの答えを知覚に依拠して得る場合と、推論によって得る場合を区別しましたが、ここではこの区別について再考したいとおもいます。以下に見るように、問いの答えを知覚に依拠してえる場合にも、私たちは推論を行っていると思われます。(問いに答えるときには、常に何からの推論が行われているだろうと予測します。ただし、問いに答える場合を、知覚に依拠する場合と、知覚に依拠しない場合に区別することはできると考えます。)

例えば、「これは赤いですか」と問われて「はい、それは赤いです」と答えるとき、私たちは、「赤い」を学習したときの事例の知覚断片と、ここでの「これ」や「それ」が指示する対象の知覚断片の類似性にもとづいて答えています。この場合ここでの「それは赤いです」という答えの真理性は、学習時の事例の知覚断片およびそれとの類似性からの推論に依拠しています。(ただし、この推論は、通常の言語的な推論つまり命題関係としての推論ではありません。いずれ考察する予定です。)

ここでの問いの答え「それは赤いです」の真理性は、

・これは赤い」を学習したときのその真理性、

・その時の知覚断片と現在の知覚断片の類似性、

・これらからの推論の妥当性、

に基づいています。

*まず、「これは赤い」を学習したときのその真理性について、考えてみましょう。

 子供が「これは赤いですか」と問い、大人が「これは赤いです」と教えたとしましょう。このとき大人は誠実な人であり、「これは赤い」が真であると信じて答えているとします。このとき、「これは赤い」が真であるとはどういうことでしょうか。

 このとき、その大人に「あなたはなぜこれは赤いと考えるのですか」「あなはなぜ「これは赤い」が真であると考えるのですか?」と問うならば、大人は「なぜなら私はそのように教わったからです」と答えたとしましょう。その大人は、それとよく似た対象をもとに、「これは赤い」が真であると教わったのです。「これは赤い」と教えた人に教えた人に教えた人に…、というように遡っていけば、「これは赤い」を最初に使った人に行き着くでしょう。その人は「これは赤い」ということを教わったのではなく、ある対象について「これは赤い」を真だということにしましょうと提案したのです。そして、その提案が受け入れられ、それが次々に継承されて、ここでの子供による「これは赤い」の学習につながっているのです。

 このような連鎖が可能であるとするとき、「これは赤い」の最初の提案(定義)が真であるとはどういうことでしょうか。  定義に真偽の区別はあるのでしょうか。<定義としての「これは赤い」の相関質問は、理論的問いではなく、実践的問いである>と思われます。実践的問いの答えは、記述ではなく、したがって真偽の区別はなく、自由な決定だと思われます。これについて次に考えたいと思います。