106 表現型発話は、定義にどのように依拠するのか(How do expressive utterances rely on definition?) (20240218)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

表現型発話は、状況や対象に対する自己の感情的態度を表明するものです。例えば、次のようなものです。

 「おめでとう」「お祝い申し上げます」

 「ありがとう」「感謝申し上げます」

表現型発話の学習は次のように行われるでしょう。例えば、「ありがとう」の学習は、子供がある人にお菓子をもらったとき、親はその人に「ありがとうございます」と言うと同時に子どもに「ありがとうは?」などと、「ありがとう」と言うように教えます。大人は、どのような状況で、子供が他者に「ありがとう」と言うべきであるかを教えます。

「ありがとう」「おめでとう」「お悔やみ申し上げます」などの表現型発話には、言うべき時、言ってもよい時、言ってはならない時の区別が可能です。これらの語の使用法を学習するとは、基本的にこれらの状況の判別を学習するです。 これらの語の使用法の学習は問答によって行われます。つまり「こういう時には、「ありがとう」と言うべきですか」「こういう時には、「ありがとう」と言う必要はありませんか」などの問いへの正しい答えを学習して、未知の状況でも、これらの問いに正しく答えられるようになることによって、「ありがとう」の使用法の学習が行われるでしょう。

表現型発話には、語るべき時、語ってはならない時、語ってもよい時、の区別があります。それは、語るべき時には適切で必要な発話になり、語ってもよい時には適切な発話になり、語ってはならない時には不適切な発話になります。適切なときと不適切なときの区別を持つ行為や発話は、規範性を持ちます。この意味で表現型発話は、規範性を持ちます。

では、これらの語はどのように発生したのでしょうか。例えば「ありがとう」を次のように定義できるかもしれません。<「おめでとう」は、お祝いの言葉である、つまり相手によい出来事起こったときに発話し、そのことを共に喜ぶための言葉です>。相手によい出来事起こったときに、そのことを共に喜ぼうとするときの発声が、習慣化することによって、お祝いの言葉となったのだろうと推測できます。このプロセスが、この語の定義のプロセスだと言えるかもしれません。この語の使用が習慣化し、使用法が定義されると、その定義に基づいて使用されるようになるし、定義に基づいて学習が行われるようになるでしょう。この語の使用規則が慣習化するとき、この語の使用は規範性をもちます。この語は、使用法の慣習化という意味での定義を持つといえますが、しかしこの定義は宣言発話によって行われるのではありません。

 それでも、表現型発話の適切性は、表現型発話の定義および学習に依拠すると言えます。

*注1:宣言型発話は、オースティンが言うように、一定の慣習のもとで成立し、それがないときにはその発話は無効になります。表現型発話には、それを語ってはならない場合がありますが、宣言型発話には、語ってはならない場合は(おそらく)ありません。しかし、それが無効になる場合はあります。それが無効になるとき、それは不適切な発話になるのではありません。不適切な宣言というものはなく、無効な宣言発話があるだけです。これに対して、表現型発話の場合には、それが不適切な発話にある場合はありますが、慣習を前提することはありません。表現型も宣言型も「適合の方向」を持たない点では共通していますが、慣習を前提しないか前提するか、の違いがあります。

*注2:表現型発話が無効になるのは、発話相手がいない時ですが、前提とする事実が成立していない時はどうでしょうか。例えば「合格おめでとうございます」は、もし相手が合格していなければ、無効なのでしょうか。それとも不適切なのでしょうか。

*注3:表現型発話は単なる感情表現の発話ではありません。「私は嬉しい」「私は満足だ」が、感情の記述であるときには、それは真理値を持つ主張型発話です。これに対して、プレゼントをもらって「私は嬉しい」とか「私は満足だ」とか相手に言うときには、それは感情の記述ではなく、相手の行為に対する自分の態度を表現しています。サールの言う表現型発話は、適合の方向がゼロです。これは、表現型発話が、心理状態の記述ではないことを意味しています。「ありがとうございます」と言うとき、たとえ本当に感謝していなくても、その場合にも感謝の表現は成立しています。(発話の誠実性については、いつか別途考えます。)

以上みてきたことから、宣言型発話以外の発話(主張型、行為拘束型、行為指示型、行為拘束型、表現型)の発話の真理性ないし適切性は、すべて定義に依拠することがわかりました。

 では、宣言型発話の適切性については、どう考えればよいのでしょうか。それを次に考えたいと思います。