120 理論法則は、対応規則を必要とする(Theoretical laws require correspondence rules) (20240525)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

観察語は、観察可能なものを表示しますが、公理化された特定科学でもちいる理論語は「観察不可能なもの」を表示し、その理論語の意味(使用法)は、特定科学の公理と推論規則によって記述されていると考えることができます。この理論体系に登場する理論文は、個別対象についての記述ではなく普遍性を持つ命題であり、(法則のように見えない文も含めて)法則です。このような理論文が世界について真であるためには、観察語や観察文と何らかの仕方で結合する必要があります。その結合関係を表現する規則を、カルナップは、「対応規則」と名付けました。

カルナップの挙げている対応規則の例には、次のものがあります。

「ある特定の周波数の電磁振動があるとすれば、一定の色合いの可視的な緑がかった青色がある」(『物理学の哲学的基礎』訳240

「気体の温度(温度計で測定され、それゆえに、さきに説明した広義の観察可能なものである)は、気体の分子の平均的運動エネルギーに比例する」(同訳240) 

このような対応規則は、規約として定義宣言されるものであり、真理値を持ちません。ただし、いったん定義宣言された後は、それが基準となるので、それは常に真となります。ただし、この対応規則は、理論法則や他の対応規則や観察文と両立不可能になることがありえます。その場合には、どれかの文を修正しなければならず、対応規則が修正されることになるかもしれません。

 カルナップは、対応規則はこのように修正可能であるがゆえに、観察語による理論語の定義だとは言えないと言います。対応規則は、必然的に修正の可能性をもつのです。しかし、どんな定義も変更の可能性をもつと考えるならば、対応規則を観察語による理論語の定義だと考えてもよいともいえそうです。この場合、このような定義によって理論の経験法則への依存関係を明示化できます。

 これに対して、カルナップは、対応規則を、観察語による理論語の定義だとは考えないのですが、対応規則が定義ではないとすれば、それは何なのでしょうか。この場合、対応規則は修正の可能性があり、理論法則や経験法則よりも、変化しやすいものだと考えています。理論を経験によるテストにかけて、修正の必要が生じた時、私たちは、理論の核心部分からではなく周辺部分から変更します。理論をできるだけ保存しようとするなら、修正の順序は、知覚、知覚報告(観察文)、経験法則、対応規則、理論法則、となるでしょう。このように、対応規則を<理論法則よりも変化しやすいもの>として考えるならば、理論語を対応規則によって定義するということはあり得ません。なぜなら、もしそのように定義するならば、対応規則が変わるときには、理論法則もまた変化することになり、対応規則が<理論法則よりも変化しやすい>ということはなくなるからです。

 対応規則を、観察語による理論語の定義と考えるか考えないかの違いは、<対応規則は理論法則と同じようにできるだけ変更せず維持すべきもの>と考えるか、<対抗規則は理論法則を維持するためには変更すべきもの>と考えるかの違いです。このように考えると、後者の方が現実的かもしれません。

 (後者を取るカルナップは科学の「道具主義」よりも、理論語の対象が存在すると考える「科学的実在論」を採用します(カルナップ『物理学の哲学的基礎』同訳262)。後者は、前者よりも、科学的実在論に親和的なのだろうと思います。)

 

 物理学者は、論理学と数学の公理系を前提として、そこに理論法則を公理として加えることによって物理学の理論の公理系をつくります。理論語や理論文の意味(使用法)は、その公理系によって示されます。この場合、理論語の意味は、公理系の中で与えられるので、推論的意味論で説明できますが、原子論的意味論ではうまく説明できないでしょう。

 科学理論が経験法則や観察文と関係を持つためには、対応規則が必要であり、理論から一定の経験法則や観察文を予測することができます。これが現実の観察文と一定することによって、理論は真であるとみなされます。この場合、理論語は対応規則によって定義されると考えることもできます。この場合、対応規則で用いられる観察語の意味は、予め定義や学習によって与えられていますが、その定義や学習は、<問答によって>あるいは<問答として>成立します。この場合、理論語の意味(使用法)もまた、<問答によって>あるいは<問答として>成立すると言えます。つまり原子論的意味ではなく、関係主義的意味論、問答推論的意味論の方が正しいように見えます。

 第92回から、問いに対する答えが正しいとはどういうことか、を論じてきました。答の正しさは、語の意味(使用法)を設定した定義に基づくと考えました。それを「真理の定義依拠説」と名付けました。112回から、それに対する反論を検討してきました。話が複雑になってきているので、次回は。これまでの議論を踏まえて、「問いに対する答えが正しいとはどういうことか」という問いに対する現時点の答えの全体構想を説明したいと思います。