146 実践的問答と技術的問答の関係:再考(The relationship between practical and technical questions:revisited) (20250222)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

#技術的問いは、(実践的問答による)目的設定に続いて成立する

技術的問い「その目的を実現するために、どうすればよいのか」という問いは、実践的問答の答えとして「…を実現しよう」という事前意図の決定が行われた後に、必要になる問いです。つまり、ある目的を実現しようという目的のために、「その目的を実現するために、どうしようか」という技術的問いを立てることになります。ここで実践的問答(Q2→A2)と技術的問答(Q1→A1)は、直列で結合しています(Q2→A2→Q1→A1)。(ここでの→は、単に時間的前後関係を表示します。)

したがって、技術的問いは、実践的な問いに答えるために問われるのではなく、実践的な問答によって目的が設定された後で、それに続いて問われることになる問いです。技術的問いのより上位の問いは、実践的問いではないのです。

「より上位の問い」とは、ある問いの答えが、その問いの答えを見つけるために有用であるというような関係にある問いのことです。ここで、ある問い(Q1)とそのより上位の問い(Q2)は、(Q2→Q1→A1→A2)という入れ子型になっています。この場合、Q1→A1を、Q2→A2の「より下位の問答」と呼ぶことにします。

#(技術的問答以外の)記述的問答は、実践的問いをより上位の問いとすることがある。

実践的な問いに答えるという目的のために、記述的問答を行うことがあります。実践的な問いの答えは、実現可能でなければなりません。したがって、実践的な問いの答えの候補と考えるものが、実現可能であるかどうかを、答える前にあらかじめ問うことになります。この問答は、記述的問答です。ただし、技術的問答ではありません。この場合、実践的問答は記述的問答のより上位の問いであり、二つの問答は入れ子型になります。

#実践的問答は、より上位の目的をもつ

実践的問いは、意志決定を答えとする問いです。例えば、

「これからどうしようか」

という実践的問いの答えは意志決定となりますが、それにどう答えるかは自由です。実践的問いの答えは、真理値を持ちません。ただし、答えが実行可能であることは必要です。答えの実行可能性が、実践的問いの答えの「正しさ」であると考えたいと思います。

 ところで、このような実践的な問いはより上位の目的を持つでしょうか。もし実践的問いがより上位の目的を持つとすると、上の問い「これからどうしようか」は、

「その目的を実現するために、これからどうしようか」

という問いの省略形であることになります。

この問いは、行為の決定を求める問いですが、その意味は、二通り考えられます。一つは、目的の実現方法が分からない場合であり、この問い「技術的問い」となります。もう一つは、実現方法が分かっている場合であり、この問いは複数の実現方法から一つを選択する問い、実践的問いになります。

 #込み入った微妙なケース

ある目的を立て、

①「その目的を実現するには、どうすればよいのか」

という技術的問いを立て、その答えが複数あったとします。例えば、「(その目的を実現するには、)H1すればよい」「H2すればよい」の2つの真なる答えがあるとします。このような場合には、

②「どちらをするのがよいのか」

と問うことになります。より正確にいえば、

③「その目的を実現するにために、H1とH2のどちらをするのがよいのか」

と問うことになります。この問いは、①に対する暫定的答え「その目的を実現するには、H1ないしH2をすればよい」を前提として当初の技術的問い①をより限定したものであり、技術的問いであるように見えます。ただし、この問いの答えが、

④「その目的を実現するにために、H1とH2のどちらをしても違いはない」

であったとしましょう。このとき、④には真理値があるでしょう。

さて、この④を前提として、どちらかを選択するには、つぎのように問うことになります。

⑤「その目的を実現するために、H1とH2のどちらをしようか」

この問いは、もはや技術的問いではなく、実践的問いであると思われます。

 この実践的問い⑤を問うことは、より上位の目的を持ちます。それは、当初の「その目的」です。

次回は、「実践的問答は、より上位の問いをもたないのかどうか」を考えたいと思います。

前回までは、実践的問答もまたより上位の問答を持つと考えて議論していましたが、それは間違いであったかもしれないと思うようになりました。次回はこれを検討します。

145 記述的問答と実践的問答(discriptive questions and answers and practical questions and answers)

(20250217)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

(最近、問答関係の分析をすること、つまり<問答の問答>が哲学の仕事である、と定式化できるかもしれないと考えています。いずれ、まとまった形で説明したいと思います。)

 

#実践的問答とは

私は問答を、答えが真理値を持つ記述的問答、答えが意思決定となる実践的問答、答えが宣言となる宣言的問答に区別できると考えています。コノカテゴリーでは、記述的問答の答えが真理であるとは、どういうことかを考察しなければならないないのだが、それを考えるためにも、答えが真理値を持たない問答との関係を明確にたいと思います。まずは、実践的問答との関係を明確にしましょう。

記述的問答は真理値を持ちます。それに対して、実践的問答の答えは、意思決定であるので、真理値を持ちません。ただし、正/誤の区別を持ちます。それは意思の実行可能性/実行不可能性の区別です。

実践的問の答えは、意思決定ですが、多くの場合それは事前意図を持つこと、つまり決断することであり、行為へと続きます。この場合、その意図の実現が簡単なことであれば、直ちに実行できるが、実現方法が分からなければ、「それをどうやって実現するか」と問う必要があります。この問いは、技術的問いないし実践的技術的問い(実務的問い)です。

実践的問いの答えとして、意思決定を行ったならば、それに続いて「それをどうやって実現するか」という技術的問い、実務的問いを設定することになります。もしその答えが「それを実現するには、Aする必要がある」となり、このAの実現方法が分からないとすると、さらに「Aをどうやって実現するか」という問いを立てることが必要になります。このような問答を繰り返して、その目的が直ちに実行可能なものになるとき、その問答は終結するでしょう。

では、目的が直ちに実行可能になるのは、どういう場合でしょうか。例えば、基礎的行為は、それを意図すれば直ちに実行可能です。ところで、歯を磨くという行為は、様々な基礎行為が複合した行為ですが、これは一塊の行為として習慣となっています。このような習慣として一塊になった複合的行為の場合にも、それを意図するだけで直ちに実行可能です。

では、箸を使うこと、歯を磨くこと、靴紐を結ぶことなど、複数の基礎的行為が一塊になり習慣的な行為となったこれらの行為は、どのようにして可能なのでしょうか。これは、複数の基礎的行為ができるようになってから、それを結合することによって可能になるのではないでしょうか。むしろ基礎的行為を意図的に行うよりも、これらの複合的な行為を意図的に行うことのほうが、先に成立すると思われます。例えば、手を握りしめるという複合的な行為を意図的にできるようになったあとで、つぎに、親指を曲げる、人差し指を曲げるなどの、より単純な複合的な行為を意図的にすることができるようになるでしょう。さらにその後で、親指の第一関節を曲げる、親指の第二関節を曲げる、などの基礎的行為を意図的に行うことが、可能になります。

これらの基礎的行為は、親指を曲げるという意図的が行為ができる前に、できるようになっているでしょうが、しかしそれを意図的に行えるようになっているのではないとおもわれます。最初にできる意図的な行為は、おそらくすでに何らかの複合的な行為であり、それを分解して捉えられるより細かな行為を意図的に行うことが可能になるのだと思われます(これは、言語についての構文論的な原子論と意味論的な全体論の関係に似ています)。

#技術的問答と実践的問答の差異

技術的問答は実践的問答の間には、明確な違いがあります。その違いは、技術的問答の答えは真理値をもつ記述ですが、実践的問答の答えは意図決定であり、真理値を持たないということです。しかし、これら二種類の問答は、近接して登場するので、混同されやすいのです。例えば、次の問答は、実践的問答です。

「Bを実現するために、どうしようか」(実践的問い)

これに答えるために次の技術的問答が行われます。

「Bを実現するために、どうすればよいか」(技術的問い)

「Bを実現するために、Aをすればよい」

しかし、技術的問いへの真なる答えは、大抵は複数可能です。答えが複数ある時、技術的問いの答えは、Bを実現するための必要条件ではなく、十分条件となります。

「Bを実現するために、Cをすればよい」

「Bを実現するために、Dをすればよい」

Bを実現するための十分条件は、このように複数可能とします。この場合、実践的な問いに現実に答えるには、複数の正しい答え(複数の実現可能な答え)の中から一つを選択しなければならなりません。その選択を問答にして明示すれば次のようになります。

「Bを実現するために、どうしようか」(当初の実践的問い)

「Bを実現するために、Aを選択しよう」

この答えが、実行可能であるとき、この答えは正しい答えだといえます。しかし、「Cを選択しよう」「Dを選択しよう」が答えであっても、それらは正しい答えだといえます。実践的問いの答えは、意思決定であり、記述ではなく、真理値を持たないのです。

 この答えの選択は、全く恣意的であるかもしれません。しかし、これらの答えの中から、適切性を基準にして最も適切な答えを選択している場合もあります。問の答えの適切性とは、より上位の問いに答えるための有用性、より上位の目的を実現するための有用性、であると考えます。例えば、ここでは、つぎのような問いによって、最も適切な答えを選択するのかもしれません。

「A、C、Dの中で、最も早くできるのはどれか」

「A、C、Dの中で、最も簡単にできるのはどれか」

「A、C、Dの中で、最もやすくできるのはどれか」

これらの問自体は、より上位の問いではありません。

次回は。これらの問いとより上位の問との関係を明確にしたいと思います。

144 意図的行為と規範性:<規範に関する記述的問答>を<事実に関する記述的問答>に書き換えることは不可能である(Intentional Action and Normativity: It is impossible to rewrite a descriptive question about a norm into a descriptive question about a fact)(20250208)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

答えが真理値を持つ問答を「記述的問答」と呼び、これを<事実に関する記述的問答>と<規範に関する記述的問答>に区別しました。ただし、前回述べたように、<事実に関する記述的問答>は、規範に関する記述的問答に書き換えることが出来そうです。しかし、<規範に関する記述的問答>は、<事実に関する記述的問答>に書き換えることは出来ないように見えます。今回は、それを説明したいとおもいます。

#意図的行為と規範性

規則とは、もっとも広義において、出来事が反復することです。規則性は、法則性と規範性に区別できそうです。規範性とは、規則の表象に従って反復することであり、その場合の規則を「規範」と呼ぶことにします。規則(規範)の表象に従って行為するとは、意図的に行為することです。

意図的行為は、ある状態や出来事の表象を実現しようとする行為です。その状態や出来事が一般的なものであるとき、例えばラーメンを食べるというような反復可能な一般的な行為の表象に従って行為することになります。この場合、その表象はその行為を導く規範となります。ただし、その状態や出来事が一回的なものである場合、例えばある人があるときラーメンを食べるという一回的な行為の表象に従って行為する場合にも、その表象はその行為を導く規範となります。なぜなら、一回的な行為の場合にも意図の内容は、行為を支配するものであり、その意味でそれは規範的であるからです。

意図的な行為の意図こそが、規範性の源です。したがって、規範に関する概念は、意図的行為に関する概念であり、規範に関する記述的問答は、意図的行為に関する記述的問答です。

人の意図的行為に関する問答は、規範性をもちます。例えば次の問答を考えてみましょう。

A「彼女は昨日夕食に何を食べましたか」

B「彼女はラーメンを食べました」

この問答が規範性を持つのは、「夕食を食べる」「ラーメンを食べる」という行為が意図的な行為である以上は、ある行為の表象に従って行為し、その表象を実現しようとする行為だからです。したがって、この問答は、それが表現している行為の規範に関する記述的問答になっています。

#まとめると、意図的行為を次のように捉えることができます。<意図的行為は、ある状態や出来事の表象に基づいてそれを実現しようとする行為であり、そのような意図的行為において、実現しようとする表象は、行為をコントロールする規範として機能しています>。<規範に関する記述的問答>とは、基本的にはこのような意図的行為に関する記述的問答であると見做せます。他のもっと複雑な規範に関する問答もまた、<意図的行為に関する記述的問答>に還元できるでしょう。

#問答行為の規範性

問うことと答えることは、意図的行為です。したがって、どのような問答であれ、問答は規範性を持ちます。したがって、問答に関する記述的問答は、規範に関する記述的問答です。つまり、<事実に関する記述的問答>に関する問答も、<規範に関する記述的問答>に関する問答も、どちらも<規範に関する記述的問答>です。

#問答行為の規範性のもう一つの説明

 問うことと答えることが規範性を持つことについては、上述のように、それらが意図的行為であることによって説明できます、しかし次のように説明することもできます。

問うことは、単に答えを求めるだけでなく、正しい答えを求めることです。それゆえに、問いに答えようとする者は、正しい答えを返すことを求められています。問う者も答える者も、答えが正しくなければ、問う者の要求に応えたことにならないことを理解しています。これによって、正しい答えを返すことは、答える者にとっても問う者にとっても、規範として理解されます。このような意味でも問答は規範性をもちます。他方で、問うことも答えることも意図的な行為であるので、前述の意味でも問答は規範性をもちます。

このような意味で、すべての問答は、規範性を持ちます。しかし、このことは、すべての問答が、規範に関する問答であることを意味しません。

記述的問答を、<事実に関する記述的問答>と<規範に関する記述的問答>に分けるとき、後者は、<意図的行為に関する記述的問答>と言い換えることもできます。そして、すべての問答が、意図的行為に関する問答ではありません。

143 <事実に関する記述的問答>と<規範に関する記述的問答>の区別について(On the distinction between descriptive questions about facts and descriptive questions about norms)(20250201)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

#論理学的推論(論理学の語彙だけを含む推論)に関する問答の場合

「pとp→rが成り立つとき、rが成りたつか?」という問いに「rが成りたつ」と答えるならば、この問答は<論理的関係ないし推論関係という事実に関する記述的問答>です。これと似た問答「pとp→rが成り立つとき、rが成り立つと言えるか」という問いに、「rが成り立つと言える」と答えるならば、この問答は上記の問答と同じく、<論理的関係ないし推論関係という規範に関する記述的問答>であるように見えます。なぜなら、「…と言えるか」という問いは規範に関する問いであり、「…と言える」という答えは規範に関する答えだからです。

#経験的事実に関する問答の場合

「机の上にリンゴがあるか」「はい、机の上にリンゴがある」という問答は、<事実に関する記述的問答>です。これは同時に、「机の上にリンゴがあると言えるか」「はい、机の上にリンゴがあると言える」という<規範に関する記述的問答>に書き換え可能である。

#この二つの場合から、すべての<事実に関する記述的問答>は、<規範に関する記述的問答>に書き換え可能である、と言えそうです。

しかし、逆に<規範に関する記述的問答>を<事実に関する記述的問答>に書き換えることは不可能であるように見えます。例えば、「私が今持っているお金で、このリンゴを買えるだろうか」「買えるだろう」という<規範に関する記述的問答>を、<事実に関する記述的問答>に書き換えることは不可能であるように見えます。そう見えるのは、この問答が「お金」「買う」などの規範的概念を含んでおり、それらの規範的概念を非規範的な概念で言いかえることができないように見えるからです。なぜなら、規範的概念を非規範的概念で言いかえることができないように見えるからである。(ミリカンは、目的概念を自然主義的に説明するので、これに反対するかもしれません。)

次回は、この点を考えてみます。