145 記述的問答と実践的問答(discriptive questions and answers and practical questions and answers)

(20250217)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

(最近、問答関係の分析をすること、つまり<問答の問答>が哲学の仕事である、と定式化できるかもしれないと考えています。いずれ、まとまった形で説明したいと思います。)

 

#実践的問答とは

私は問答を、答えが真理値を持つ記述的問答、答えが意思決定となる実践的問答、答えが宣言となる宣言的問答に区別できると考えています。コノカテゴリーでは、記述的問答の答えが真理であるとは、どういうことかを考察しなければならないないのだが、それを考えるためにも、答えが真理値を持たない問答との関係を明確にたいと思います。まずは、実践的問答との関係を明確にしましょう。

記述的問答は真理値を持ちます。それに対して、実践的問答の答えは、意思決定であるので、真理値を持ちません。ただし、正/誤の区別を持ちます。それは意思の実行可能性/実行不可能性の区別です。

実践的問の答えは、意思決定ですが、多くの場合それは事前意図を持つこと、つまり決断することであり、行為へと続きます。この場合、その意図の実現が簡単なことであれば、直ちに実行できるが、実現方法が分からなければ、「それをどうやって実現するか」と問う必要があります。この問いは、技術的問いないし実践的技術的問い(実務的問い)です。

実践的問いの答えとして、意思決定を行ったならば、それに続いて「それをどうやって実現するか」という技術的問い、実務的問いを設定することになります。もしその答えが「それを実現するには、Aする必要がある」となり、このAの実現方法が分からないとすると、さらに「Aをどうやって実現するか」という問いを立てることが必要になります。このような問答を繰り返して、その目的が直ちに実行可能なものになるとき、その問答は終結するでしょう。

では、目的が直ちに実行可能になるのは、どういう場合でしょうか。例えば、基礎的行為は、それを意図すれば直ちに実行可能です。ところで、歯を磨くという行為は、様々な基礎行為が複合した行為ですが、これは一塊の行為として習慣となっています。このような習慣として一塊になった複合的行為の場合にも、それを意図するだけで直ちに実行可能です。

では、箸を使うこと、歯を磨くこと、靴紐を結ぶことなど、複数の基礎的行為が一塊になり習慣的な行為となったこれらの行為は、どのようにして可能なのでしょうか。これは、複数の基礎的行為ができるようになってから、それを結合することによって可能になるのではないでしょうか。むしろ基礎的行為を意図的に行うよりも、これらの複合的な行為を意図的に行うことのほうが、先に成立すると思われます。例えば、手を握りしめるという複合的な行為を意図的にできるようになったあとで、つぎに、親指を曲げる、人差し指を曲げるなどの、より単純な複合的な行為を意図的にすることができるようになるでしょう。さらにその後で、親指の第一関節を曲げる、親指の第二関節を曲げる、などの基礎的行為を意図的に行うことが、可能になります。

これらの基礎的行為は、親指を曲げるという意図的が行為ができる前に、できるようになっているでしょうが、しかしそれを意図的に行えるようになっているのではないとおもわれます。最初にできる意図的な行為は、おそらくすでに何らかの複合的な行為であり、それを分解して捉えられるより細かな行為を意図的に行うことが可能になるのだと思われます(これは、言語についての構文論的な原子論と意味論的な全体論の関係に似ています)。

#技術的問答と実践的問答の差異

技術的問答は実践的問答の間には、明確な違いがあります。その違いは、技術的問答の答えは真理値をもつ記述ですが、実践的問答の答えは意図決定であり、真理値を持たないということです。しかし、これら二種類の問答は、近接して登場するので、混同されやすいのです。例えば、次の問答は、実践的問答です。

「Bを実現するために、どうしようか」(実践的問い)

これに答えるために次の技術的問答が行われます。

「Bを実現するために、どうすればよいか」(技術的問い)

「Bを実現するために、Aをすればよい」

しかし、技術的問いへの真なる答えは、大抵は複数可能です。答えが複数ある時、技術的問いの答えは、Bを実現するための必要条件ではなく、十分条件となります。

「Bを実現するために、Cをすればよい」

「Bを実現するために、Dをすればよい」

Bを実現するための十分条件は、このように複数可能とします。この場合、実践的な問いに現実に答えるには、複数の正しい答え(複数の実現可能な答え)の中から一つを選択しなければならなりません。その選択を問答にして明示すれば次のようになります。

「Bを実現するために、どうしようか」(当初の実践的問い)

「Bを実現するために、Aを選択しよう」

この答えが、実行可能であるとき、この答えは正しい答えだといえます。しかし、「Cを選択しよう」「Dを選択しよう」が答えであっても、それらは正しい答えだといえます。実践的問いの答えは、意思決定であり、記述ではなく、真理値を持たないのです。

 この答えの選択は、全く恣意的であるかもしれません。しかし、これらの答えの中から、適切性を基準にして最も適切な答えを選択している場合もあります。問の答えの適切性とは、より上位の問いに答えるための有用性、より上位の目的を実現するための有用性、であると考えます。例えば、ここでは、つぎのような問いによって、最も適切な答えを選択するのかもしれません。

「A、C、Dの中で、最も早くできるのはどれか」

「A、C、Dの中で、最も簡単にできるのはどれか」

「A、C、Dの中で、最もやすくできるのはどれか」

これらの問自体は、より上位の問いではありません。

次回は。これらの問いとより上位の問との関係を明確にしたいと思います。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。