159 技能知と規範性(knowing-how and normativity)(20250611)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

前回は、規則遵守行為が、技能知に基づくことを説明しました。今回は、技能知もまた規範性を持つことを説明したいと思います。

技能知(ノウハウ、know how)は、ある種の実践的能力です。語「赤い」を適切に使用する能力を、ここでは自転車に乗る能力と同じような種類の能力として理解しています。

このような実践的能力は、その行為を反復して行うことができる能力です。しかも、その反復が正しく反復されている事が必要です。そのためには前回の行為と今回の行為が似たものであることに気づいており、その気付きが正しいことも気づいている必要があります。

さもなければ、「私は語「赤い」を使える」とか「私は自転車に乗れる」と信じることはできません。ある行為をするだけでなく、ある行為をある行為としてすることができる、ということが必要です。

ただし、ある反復的な行動能力を持っていても、それを意識しているとは限りません。例えば、カエルは、下を伸ばしてハエを捕まえる能力を持っていますが、そのことを意識してはいません。そのような行動能力を技能知(ノウハウ)とは特別しておきたいと思います。ただし、このノウハウは、反復可能であり、従って規則性を持つのですが、しかし、規則の表象に従って行為する能力ではありません。語「赤い」を使用する時、何らかの規則の表象を用いてはいませんし、自転車に乗るときも、規則の表象を用いてはいません。

「「赤い」は色を指す」とか「自転車に乗るにはサドルにまたがって、ペダルを踏混なければならない」という規則を表彰しているしているかもしれません。しかし、それらの規則の表象は、それだけは、語「赤い」の使用や自転車に乗ることを可能にするには全く不十分です。技能知は反復可能であり、しかも反復であることの気づきを伴うとすれば、そこには反復性、規則性から外れたときの気づきも可能であり、そこに正しく反復べきであるという規範性が生じます。行為の規則性にその規則性の意識が伴う時、規範性の意識が生まれます。

 

 ところで、私が規範性について考え始めたきっかけはブランダムの議論なのですが、ブランダムは、カントが概念の仕様の規範性に気づいたことを、彼の画期的な仕事だと高く評価しています。そのことに異議はないのですが、カントが概念と対比した直観についても、規則性や規範性を見つけることができるとおもいます。

 直観の規則性と規範性について次に論じたいと思います。