19 規則遵守問題の解決不可能性について(On insolvability of the rule-following problem (20250814)

[カテゴリー:平和のために]

(更新がおそくなりすみません。この一ヶ月ほど、ロバート・ブランダムの規則遵守問題と相互承認論についての研究発表の準備をしていました。一応の準備ができたので、ブログを再開したいと思います。)

前回のA1とA2の主張は、問いの成立および問の共有が成り立っていることがぜんていされていました。それに対して、B1は問の成立を否定し、B2は問の共有を否定しています。今回は、前回述べた「B1:規則遵守問題の解決不可能性」を説明し、検討したいと思います。

発話が有意味であるためには、発話が言語の規則に従っていなければなりません。

 1,まず、音がその言語の音韻体系に基づいていなければなりません。文字の場合には、書かれた模様がその言語の文字体系に基づいていなければなりません。

 2,つぎに、それらの音や文字の並びが、その言語の語になっていなければなりません。

 3,さらに、その語の並びが、その言語の文法に従っていなければなりません。

これらは、数列がある規則に従っているということと似ています。そして、与えられた数列と一致する規則が無数にあるので、与えられた数列がどの規則に従っているのかを決定することはできません。

規則遵守問題がこのような問題だとすると、発話が有意味であるためには、発話は言語の規則に従っていなければならないのですが、その言語の規則を特定できない、あるいは言語の規則を明示的に表現できないので、それに従うことができない、という問題になります。

言語の規則を定義することはできます。しかし、その場合には、規則の適用の仕方について上と同じような問題が生じます。そこで、さらに規則適用の仕方の規則を定義することができます。

しかしここでも同じ問題が発生し、これを無限に繰り返すことになります。これが「規約主義のパラドクス」と言われるものです。

わたしたちは、言語を規則的に用いているが、その規則性は、自然的性向のようなものであると考えるならば、<言語の規則に従っていること>と<言語の規則に従っていると信じていること>を区別できません。この場合には、「自分が正しいと思ったことが正しいことになり、正しくないことの区別が無効になります」(ウィトゲンシュタイン)。ブランダムによれば、これを区別するには、他者の視点、あるいは時間的に異なる視点が必要である。

他者の視点に依拠して、<言語の規則に従っていること>と<言語の規則に従っていると信じていること>を区別するためには、他者承認が必要です。

そこで、次に「B2:完全な相互承認の不可能性」について考えたいと思います。