20 完全な相互承認の不可能性(Impossibility of complete mutual recognition) (20250815)

[カテゴリー:平和のために]

 今回は、「B2:完全な相互承認の不可能性」の証明を試みたいとおもいます。

 二人の人間がある事柄について完全に合意するということは、不可能です。なぜなら、合意したと思っていても、つねにズレが生じる可能性があるからです。特定の事柄に限定せずに、二人の人間が何らかの事柄について合意するということであれば、それは可能です。ただしその合意が、ずっと持続するという保証はありません。

以上で、A1~B2の説明(証明?)を終わります。

  A1:全面的懐疑主義の不可能性

  A2:社会の全面的な分断は不可能である(社会は底割れしない)。

  B1:規則遵守問題の解決不可能性

  B2:完全な相互承認の不可能性

これらは全体で、完全な懐疑主義も完全な合意も、どちらも不可能であることを主張しています。

・A1とA2は、主張と対話の必要条件があることを主張しており、主張や対話の必要条件は主張や対話の超越論的条件となります。

・B1とB2は、主張と対話の十分条件が存在し得ないことを主張しています。

この4つのテーゼから(とりあえず)次のことが帰結すると思います。

(1)私たちは、他者によって言語の規則に従うことができ、他者によって自問自答が可能にな(2)社会は、分断の可能性を本質的に持っており、それを排除することはできない。

(3)社会は、分断の可能性を持つことによって、コミュニケーションの可能性をもつ。

これらを踏まえたうえで、平和のための方法を考えなければならないと思いますが、とりあえず、この3つについて考えてみたいとおもいます。