163 認識論的空間的K構造(Epistemological spatial K-structure)(20251024)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

机の上のリンゴの表面で反射した光が、視神経を刺激し、視神経の細胞が脳の視覚野と呼ばれる部分まで伸びて、そこで発火します。自分の視神経を見ることは出来ませんが、他者の神経や他者の視角野などをみ機械を用いて観察することはできます。そのとき、リンゴの心的表象が生じていると考えるとき、このリンゴがその上にある机もまた私の表象であり、机がある空間もまた私の表象です。リンゴの表面で反射した光に目に入り、目が視神経を刺激し、その信号が脳の視覚野に届き、そこで発火する、ということはおそらく科学的に確認するうことができるでしょう。しかし、リンゴが私の表象であるとき、リンゴの認識のこの自然的なプロセスもまた、私の知覚表象あるいは想像表象です。ただし、このような自然のプロセスからリンゴの心的表象が生じることを想定することは出来るが、それを具体的に説明することはできません(心的なクオリアの発生を説明することは出来ません)。

 確かにそれを説明することはできませんが、このとき私は、「リンゴから届いた光の刺激が視角野で一定の発火パターンとなり、それがリンゴの心的表象になる」と判断し、その判断が最も確からしいことだと考えます。逆に、もしそのように判断しないとするならば、私は「机の上にリンゴがある」と判断することは出来ないでしょう。その場合には、そのリンゴを手に取ったり、食べたりすることもできなくなります。ここでは、<外的自然的プロセスの記述>がいつの間にか、<自然的プロセスについての内的認識の記述>に変化しています。

 他方で、<自然についての認識のプロセスは、心理学によって、それ自体が自然的プロセスとして記述されます。

 こうして認識論において、心にとっての外的出来事と内的出来事がいつのまにか、一方から他方へと相互に変化するということが起こります。つまり認識論的空間的K構造が成立します。

 

 次に認識論的時間的K構造について説明したいと思います。