165 問答関係とK構造(その1) (Question-Answer relationship and K-structure (1)) (20251123)

 [カテゴリー:問答の観点からの認識]

「認識」とは、「記述的な問い」の答えを求めること、あるいはその答えのことです。「記述的な問い」とは、「事実についての記述」を答えとする問いです。「事実についての記述」を求めることは、<事実が、記述とは独立に、あるいは当事とは独立に成立していること>を前提しています。あるいは、逆に言えば、「事実」とは、「それについての問答とは独立に成立している事柄」だということもできます。より正確にいうならば、「事実」とは、「問答とは独立に成立している事柄として設定されたもの」です。

#今仮に机の上のリンゴAを見ているとします。このとき、私はふつうは、Aは、私がそれを見ていなくても存在していると考えています。なぜそう考えるのかといえば、素朴に考えるならば、私がそこから離れて戻ってきたときにも、そこに変わらず存在していたかのように存在するからです。このことを反省するとき、私は、Aを、<私が表象から独立に存在しているものとして設定したもの>として考えていることがわかります。

 さて、私が「Aは、私がそれを見ていなくても存在している」と考えることと、「Aは、私が表象から独立に存在しているものとして設定したものである」と考えることは非常に異なります。前者では、私はAが私から独立に実在すると考えており、後者では、Aは私が設定したものであると考えています。ただし、この二つは両立可能です。なぜなら、後者では、私は、Aを、私が表象から独立して存在しているものとして設定するしているのですが、この設定によって、Aは私にとって、表象から独立しているものとして設定されるのであって、そのことは、Aが私のこの設定から独立に存在することとは、矛盾しません。

 ここで<私が表象から独立に存在しているものとして設定したもの>という概念を用いることによって、<現象としての対象>と<実在としての対象>のどちらでもない対象を考えたいと思います。現象論と実在論の対立を超える考え方を提案したいと思います。  そこで<私が表象から独立に存在しているものとして設定したもの>という概念についてもう少し論じたいと思います。

164認識論的時間的K構造 (Epistemological temporal K-structure)(20251110)

 [カテゴリー:問答の観点からの認識]

 打ち上げ花火を見る時、花火が上がって上で開いて消える、のをみます。これが視神経を刺激し、それに対応する脳内でニューロンが発火します。花火の空間的広がりは、網膜上の視神経の広がりに関係するでしょうが、それだけに依存しているのではなく、断片的に与えられる知覚刺激から、脳内で花火のきれいな形や色が表象レベルで構成されるのだと思われます。

 花火が上がってゆき、上空で開くという時間経過は、それぞれに対応する脳内のニューロン発火の時間経過と関係しているでしょうが、それだけでけっていされるのではなく、時間経過を持つ知覚刺激から、その時間経過が表象レベルで構成されるのだとおもわれます。私たちは、断片的な知覚刺激から空間的な知覚像を構成するだけでなく、時間空間的な4次元的な変化を表象的に構成するのです。この変化は、知覚像の変化であると同時に、時間的変化の知覚像でもあります。

 私たちは、時間的変化を認識すると同時に、その認識過程自体が時間的です。つまり、認識内容が時間的変化であると同時に、認識過程自体が時間的変化です。この二つの時間的変化は明確に区別できます。ただし、この認識過程自体が認識され、認識の内容になるとき、認識過程の時間が認識内容となり、認識内容の時間が認識過程になっています。二つの時間が互いに他方へと変化しています。ここに認識論的時間的K構造が成立しています。

  時間と空間を合わせた4次元についても、同様のことが言えます。時間空間の4次元の中に私がいる、と私が考える時、私はその4次元時空の外にいて4次元時空についての考えています。この時私はどこにいるのでしょうか。このときも、私は4次元時空の中にいます。この4次元時空は、最初の4次元時空と別のものではありません。なぜなら、最初の4次元時空は私がそこにいるところとして考えていたものだからです。

 

前々回に「空間関係も時間関係も、問答関係によって成立し、K構造は問答関係によって出現すると推測する」と書きました。次にこれを説明したいとおもいます。