対象言語とメタ言語の区別による矛盾の回避

Passau, die schoenste Stadt, die ich bisher besucht habe.
パッサウ、私が行ったことのある最も美しい町でした。

①「このときの白樺湖は、言葉では言えない美しさでした」

この文が矛盾しているとすれば、それはどのような矛盾でしょうか。
②「このときの白樺湖は、英語では言えない美しさでした」
これは矛盾していません。なぜなら、「英語」は日本語ですが、英語は日本語ではないからです。
つまり、この文章は英語という対象言語に言及しているメタ言語としての日本語で書かれているのです。冒頭の文も、これと同様の仕方で対象言語とメタ言語の区別を導入すると矛盾は生じません。
つまり、次のようになります。
③「このときの白樺湖は、言葉1では言えない美しさでした」
この文が言葉2というメタ言語で書かれていると考えると、「言葉1」は言葉2の表現ですが、言葉1は言葉2ではありません。したがって、②と同様に③には矛盾はありません。
①が矛盾しているとすると、それは①の文の言葉と、①の中に登場する「言葉」が指示する言葉が同一の言葉であるときです。

繰り返しになりますが、もし我々が対象言語とメタ言語区別をしないのならば、①は矛盾します。
したがって、次ぎの文は、矛盾します。
④「このときの白樺湖は、どんな言葉でも言えない美しさでした」
この文では「どんな言葉」の中に、④の文で使用されている言葉も含まれるから、対象言語とメタ言語の区別による矛盾の回避が不可能になります。

しかし、おそらく別の反論があるでしょう。
それは<「言葉では言えない美しさ」というのは、美しさについての言葉による説明ではない>という反論です。
たとえば、「それはどんな花ですか」と問われて⑤「それは言葉では表現できない花です」というのは、返答になっていないのではないでしょうか。もし「言葉では表現できない花」が、花についての言葉による表現であるなら、⑤は返答になっているはずです。逆にもし⑤が返答になっていないとすると、「言葉では表現できない花」は、花についての言葉による表現ではないことになります。そうすると、⑤は矛盾していないことになります。同様に①も矛盾していないことになります。

「それはどんな花ですか」と問われて⑤「それは言葉では表現できない花です」と応えることが、
問いの返答になっているのかいないのか、これが問題です。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

「対象言語とメタ言語の区別による矛盾の回避」への2件のフィードバック

  1. SECRET: 0
    PASS:
    マイケル・トマセロに関してググッテいて貴ブログを読ませていただきました。
    「言葉では言い表せない」ということは下記内容と思います。

    言語とは言語規範を媒介とした表現であり、概念という超感性的な認識と感性的な形(音韻、文字)の統一による表現です。従って、認識対象に対する適切な概念である語彙が規定されていない場合は言語による表現はできません。
    これが言葉では言い表せないということです。

    その場合は対象を直接に感性的に写真、絵画、音楽等で示し表現することが可能です。電子、原子という語彙が生まれる前は軌跡の写真等を示してその存在を示すしかなく、言葉では表現できませんでした。

    これらを言語と組み合わせた表現が総合芸術となります。■

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