「上の四角は、何色ですか?」と問われたならば、
「それは黄色です」と我々は即座に答えるでしょう。
このとき、私はどのようにして答えているのでしょうか。
おそらく、これまで「これが黄色だよ」「それも黄色だ」「あれは黄色だ」「こいつは黄色じゃない」
などと沢山の色について学習してきて、黄色にぞくする沢山の色のサンプルの記憶があります。
その記憶を用いて、それと上の四角の色が類似している、ことを確認して、
そこで、「それは黄色です」と答えるのでしょう。。
ただ上の四角だけを見ても、そこから「黄色」という言葉は出てきません。
上の四角を見ることだけでなく、「黄色」の言葉の使用例についての記憶が、必要です。
それから、さらに、それらの記憶された黄色のサンプル群と、上の四角の色が、類似していることの認識が必要です。
たとえば、目の前に二つの四角があり、「その二つの色は似ている」というためには、何が必要でしょうか。
そのためには、「色」の語の使用例の記憶が必要ですが、それに加えて、「似ている」という語の使用例の記憶が必要です。
これは、この場合の二つの色の関係は、これまでに「似ている」で使用例で記憶されている関係のサンプル群と、<似ている>必要があるのでしょうか。そうすると、この場合に<似ている>は、どのようにして知られるのでしょうか。
これをさらに<<似ている>>というように、繰り返えしても、役に立ちそうにありません。
では、このあと、どのように説明したらよいのでしょうか。
もう一度、問いましょう。「これは黄色だ」とどうして言えるのでしょうか。
(もし、なにかよいアイデアがありましたら、教えてください。)
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黄色という名称がついているから。
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ハイ!貴方は色盲ではありません!
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人間は全てのものを相対的にみています。
黄色であれば赤とか青とかと比較することで認識しています。
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いい議論をされてますね。「なぜ?」という発想は哲学に欠かせません。ただ、掘り下げ方が皆さん、科学と数学になってませんね。上の凡人さんのでも、なぜ相対的にみているのですか、と開き直ることができます。正解は「学習したから」です。質問のレベルに応じて「錐体細胞や反射光の波長、認識」と対応して行きます。これが科学的哲学です。
You are a very clever person!