もう少し寄り道
永井均の〈私〉の議論は魅力的である。とくに若い世代に受け入れられたように思われる。これは、若い世代が、不登校やニートや引きこもりになっていること、あるいは日本全体が無縁社会になっていることと関係しているように思われる。私たちが引きこもりたくなるのは、他者と比較したり比較されたり、他者と競争したりしたくないからである。あるいは、空気を読んでつねに同調することに疲れているからである。一方における極端な同調と競争と、他方における極端な引きこもりが、日本の社会の現状である。
現代の社会では、個人は個として社会に投げ出されて、競争社会の中で生きていかなければならない。確かに社会の中で生きることは、さまざまな社会関係の中で生きることであるので、利害を共有する人たちがいるはずだ。しかし、その人たちと連帯することが難しくなっている。同じ会社のサラリーマン同士であるとき、利害を共有しても、他方では競争相手であるからだ。競争の激しさが、連帯を困難にし、個人を孤立させ、さらに人一人を押しつぶしている。
国家や会社のために個人があるのではないとすれば、(途中の論証がまだないが)、個人や労働力が商品であるということはありえない。というわけで、我々の社会の再構築のためにも、「人格とは何か」に答えることが重要だ。
現代の社会では、個人は個として社会に投げ出されて、競争社会の中で生きていかなければならない。確かに社会の中で生きることは、さまざまな社会関係の中で生きることであるので、利害を共有する人たちがいるはずだ。しかし、その人たちと連帯することが難しくなっている。同じ会社のサラリーマン同士であるとき、利害を共有しても、他方では競争相手であるからだ。競争の激しさが、連帯を困難にし、個人を孤立させ、さらに人一人を押しつぶしている。
国家や会社のために個人があるのではないとすれば、(途中の論証がまだないが)、個人や労働力が商品であるということはありえない。というわけで、我々の社会の再構築のためにも、「人格とは何か」に答えることが重要だ。
まだ本論に入っていませんが、何でもご批判比ください。