02 CBDCによる資本主義と国家の関係の転換 (20200725)

[カテゴリー:グローバル化のゆくえ(2)]

 このカテゴリーの課題の一つは、「貿易と投資の自由化は、必然的に進んで行くように見えるが、それはなぜなのか」ということでした。しかし、最近このグローバル化に逆行する動きが見られます。

 前回発言01は20130829でしたので、およそ7年ぶりの発言になります。この間多くのことがありました。日本では2012年から第二次安倍政権が始まり、今も続きています。中国でも2012年に習近平が最高指導者になり、今も続いています。アメリカでは、2017年にオバマ政権からトランプ政権に変わり、アメリカの政策は大きく変わりました。ヨーロッパでは、ブレクジットも決定しています。

日本ではナショナリストが首相に居続け、中国でもアメリカでも指導者がかつての自国の繁栄の復活を目指しており、ヨーロッパでもEUから分離しようとする動きが複数みられます。グローバル化の流れは、必然ではなかったのでしょうか。(そうではない、グローバル化はやはり続くだろう、というのが、以下で示したい私の予想です。)

 中国とアメリカの覇権争いは、この数日新たな段階に入ったように思われます。アメリカの国務長官ポンペオ氏がいうように、私たちは、<中国が経済発展すれば、中間層が力を持つようになり、民主化が進むだろう、それは共産党独裁と矛盾し、いずれ政治システムの変化が生じるだろう>と考えていたと思います。しかし、現実にはそうなりそうにないように思われるようになりました。冒頭の予測が間違ったのは、中国の特殊事情のためだ、と思われているかもしれません。しかし、必ずしもそうではないと思います。なぜなら、自由主義諸国でも、冷戦後は経済格差が拡大し、中間層が没落しているからです。この時期に中間層が育たなかったのは、中国だけでなく、自由主義諸国でも同じなのです。

 つまり、<資本主義の発達>と<中間層の台頭による民主主義の発展>は、必然的に結びついているのではない、ということです。資本主義と民主主義の結合が必然的ではないとすれば、資本主義が共産党独裁と結合することも可能であることになります。

 経済のグローバリゼーションは、資本主義が国家を必要としないかのように思わせてきました。しかし最近の世界情勢は、資本主義が国家と結合していることを明らかにしつつあります。資本主義システムは、国家システムの影響を偶然に受けることがあるというよりも、むしろ資本主義システムは国家システムとの必然的な結合によって成り立っているのです。

 この結合の中心(の一つ)は、政府が貨幣を発行するということにあります。

・金貨の時代には、政府が発行する金貨の金の含有量を保証していました。

・兌換紙幣の時代には、政府が発行する紙幣と金との交換を保証していました。

・不換紙幣の時代には、政府が紙幣の発行量をコントロールしています。

 では、このあと貨幣はどうなるのでしょうか。そのような時代が来るかどうかわかりませんが、もしビットコインのような暗号通貨の時代になれば、通貨発行量を政府がコントロールすることはできなくなります。それゆえに、各国中央銀行は現在、ビットコインを拒否しています。フェイスブックのリブラも拒否されました。しかし、取引の利便性のために、各国がCBDC(中央銀行発行デジタル通貨)を採用しようとしています。もしそれが主流通貨となるとき、何が起きるでしょうか。外貨との交換は用意になり、外貨での支払いも用意になるでしょう。そうすると、政府が貨幣の発行量をコントロールしても、経済活動をコントロールすることは難しくなるでしょう。多くの人々は、金利の高い通貨や安定した通貨で資産を保有し、支払いのときには、必要に応じて、自国通貨などの通貨に交換して支払うだろう。これは、支払い時にスマホで簡単にできるようになるに違いない。もしこのようになれば、各国中央銀行が、自国通貨の発行量を調整することによって、自国の経済活動をコントロールすることは不可能になるだろう。

 以上から言えることは、次のようなことです。<少なくともこれまでは、資本主義システムは、通貨発行の主体である国家システムとの結合によって可能であった。しかし、通貨の主流がCBDCになるとき、貨幣による取引は、個別通貨から自由になり、国家が管理する通貨システムからの独立性を獲得するだろう。資本主義下の契約の自由は、従来は国家が管理する通貨によって可能になっていた。つまり、契約の自由が想定する個人の自由も、国家システムのもとで可能になっていたが、資本主義が国家に管理された通貨システムから自由になるとき、個人の自由もまた、国家システムから自由になるだろう。>

01 貿易と投資の自由化は何故進むのか?

ピークを越えて、夏の空。
 
01 貿易と投資の自由化は何故進むのか?(20130829)
 
現代のグローバル化を駆動している中心は、経済のグローバル化です。そして、経済のグローバル化を引き起こしているのは、「貿易と投資の自由化」だとおもいます。その前は「帝国主義」でした。帝国主義が終わった後、つまり第二次世界大戦後、経済の領域では、常に貿易と投資の自由が進んできました。そしてその流れは、冷戦以後、加速しました。それが現在のグローバル化を生み出しているのです。そして、「貿易と投資の自由化」は、まだまだ途上にあります。(もし帝国主義のように破綻することがなければ)おそらくは、世界全体にわたる「貿易と投資」の完全な自由化が実現するまでこの流れは続くでしょう。
 
では、「なぜ、貿易と投資の自由化は。これまで一貫して推進されてきたのでしょうか?そして、それが今後も進展するように見えるのは何故なのでしょうか?」
 
ある国家が関税をかけたり、投資を制限したりするのは、自国の経済を守るためです。ただし、それは同時に、他国の経済にとっては、マイナスです。つまり貿易や投資の自由化に関しては、それによって得をする国家もあれば、損をする国家もあるはずです。それなのに、なぜこの50年ほど世界の貿易と投資は、絶えず自由化の方向へ進んできたのでしょうか。
 
たとえば、現在日本ではTPP交渉が話題になっています。そこには賛否両論があります。しかし、貿易と投資の自由化は進んでしまうように思えます。何故そうなのでしょうか。日本政府がアメリカの言うがままに動くからでしょうか。しかし、この流れは日本だけのものではありません。この流れは世界的な流れなのです。
 
世界全体は、なぜ貿易と投資の自由化へ向かうのでしょうか。それは資本家がそれを望むからでしょうか。しかし、関税で保護されている産業の資本家もいるのではないでしょうか。
 
国家でみても、資本家で見ても、つねにプラスとマイナスがあるにも関わらず、全体の一般的な傾向として、常に関税の撤廃と投資の自由化に向かうのはなぜでしょうか。思いついたのは、次のような原因です。
 
原因1:関税で守られている業界が、関税を守るためのロビー活動にお金を掛けてもそれによって、利益が増えるわけではない、その活動は投資にはならない。しかし関税廃止で利益が得られる業界が、関税を廃止するために、ロビー活動にお金をかけることは、将来の利益のための投資となる。したがって、後者のロビー活動のほうが常に積極的になる。
 
原因2:関税撤廃と投資の自由化についてある一つのパッケージ化された案があるとしよう。そのパッケージによって利益が上がる業界は、不利益を被る業界よりも、経済力をもつ業界だろう。したがって、その業界のほうが政府を動かすためのより大きな力をもつ。
 
原因3:A国が、B国に対して関税撤廃するとき、それはB国の関連業界にとっては不利益になるが、消費者にとっては利益になる。B国の中には、それに賛成する人がいる。それに対して、B国が、A国に対して、B国への関税撤廃要求をしないように要求しても、それによって、利益を得る人は、A国の中にはいない。その点で、関税を守ろうとするほうが不利である。
 
このような原因が、貿易と投資の自由化の歴史的必然性を構成しているのだろうか?