04 動物は表象を持つのか (20200928)

[カテゴリー:人はなぜ問うのか?」

 「人はなぜ問うのか?」が課題だった、この問いは、人が問うことを前提している。そこで、「人が問うとはどういうことかだろうか?」を問い、さらに「動物の探索と、人が問うことの違いはなにか?」を問うことになった。動物は、それが移動を始めたときから、感覚し、探索していると思われる。では、「動物は、表象や意識を持つのか?」

 この問いに答えることは、非常にむつかしい。なぜなら動物自身に答えてもらうことができないので、それを動物の行動の振る舞いから推測するしかないからである。したがって、動物が表象や意識を持つこと、ないし持たないことについての、間接的な証拠を見つけなければならない。

(あるいは脳科学が発達して、人間がリンゴの表象をもつとき、どのような脳状態の変化が生じるのかを特定できるようになれば、動物の脳状態にもよく似た変化が生じるかどうかで、動物がリンゴの表象をもつかどうかを判定できるようになるかもしれない。ただし、厳密に言えば、その場合でもそれは間接的な類推にとどまっている。)

 意識や表象の有無について考察するとき、痛みなどの意識をもつかどうか境界は、脊椎動物/非脊椎動物の区別に置かれ、表象を持つかどうかの境界は、哺乳類/非哺乳類の区別に置かれることが多いのではないかと思われる。ただし、専門家の間でも定説はないようである

 意識や表象をもつとは、どういうことかを考えるための手がかりとして、(話が元に戻ってしまっているように思われるかもしれないが)人間の場合を考えよう。

 人間は、(痛みの)意識を持ち、(パイン飴の)表象を持つように思っているが、それはどういうことだろうか。パイン飴を食べようとして、パイン飴を探すとき、黄色くて丸くて穴の開いたパイン飴を表象している。パイン飴の表象は、パイン飴を図とし、その他を地とするゲシュタルト構造を持つ。対象を表象するとは、対象を図とし、その他を地とするゲシュタルト構造を表象することである。しかし、最近の知覚論であるNoeの「エナクティヴィズム」は、このような知覚像は存在しないと主張していたのではないか。

(今手元にNoeの本がないので、奈良に戻ってからこの点を調べます。)

03 走性から二種類のオペラント学習へ (20200914)

[カテゴリー:人はなぜ問うのか?」

 西村三郎著『動物起源論』(中公新書)の植物と動物の区別をもう一度引用しよう。

「植物とは、自ら動くことはできないが、光合成(炭酸同化作用)を通じて無機物から有機物を合成し、自分の体を作り上げていくことのできる生物、一方、動物は感覚し、そして動き回ることができるが、みずからは有機物を合成できないので、外から有機物を取り込んで体を作っていかねばならぬ生物のことを指している。」(p. 12)

 植物は、自ら有機物をつくるが、動物は、外から有機物を取り込んで体をつくる。つまり、動物が感覚し、動きまわるのは、有機物を取り込むためである。動物が探索するのは、餌となる有機物を求めるためである。餌となる有機物は、動物の進化に応じて、無生物→植物→動物と変化してきた。動物を食べる動物が登場すると、動物は、餌をとるためだけでなく、敵(捕食者)から身を守るためにも、探索するようになる。動く餌を捕まえたり、敵を見つけて早く逃げるためには、眼が必要になる。運動するためには、姿勢の感覚が必要であり、餌や敵を探索するには、外界についての感覚が必要である。このように探索するためには、感覚器官が必要である。

 単細胞の動物が、多細胞になり、脊椎動物になるまでに長い経緯があるが、それらの動物の探索はすべて、走性によるものと言えるのだろうか。ゴキブリが人の気配で物陰に隠れることも、走性で説明できるのだろうか。(勉強不足でわかりません。)いずれにせよ、その探索は、感覚器官によって行われる。

 脊椎動物は、反射、条件反射、オペラント学習によって、探索を行う。すべての脊椎動物は、反射と条件反射をもつだろう。しかし、オペラント学習についてはどうだろうか。魚やカエルもオペラント学習するのだろうか。ネズミや猫の鶏のオペラント行動については読んだことがあるが、魚類、両生類でもオペラント行動があるのだろうか。たまたま行った行動で、餌にありついたということがあり、同様の行動をして餌を手に入れるようになるということが、魚類や両生類にもあるかもしれない。

 動物の探索行動の進化は、走性と反射⇒条件反射⇒オペラント行動、という仕方で理解できるのかもしれない(専門家がどういっているのか、勉強不足でわかりません)。反射の中に発展段階の違うものを見つけることができるかもしれないし、条件反射の中にも発展段階の違うものがあるだろう。人間の探索行動との比較で重要なのは、オペラント行動の中の発展段階の違いである。

 サルが、手が届かないところにぶら下がったバナナをとるのに、近くにある箱を持ってきて、その上にのってバナナをとるという話を読んだことがある。イモを洗うサルの話も読んだことがある。これらの場合、サルは目標の状態を表象しているのではないだろうか。もしそうならば、オペラント行動には、目標状態の表象を持つ場合と持たない場合を区別できるだろう。

 <すべての動物は感覚を介して行動し、一部の動物は、表象を介して行動する>と言えるだろうか。目標状態の表象を持つとき、その行動は、観察者によって探索行動として記述されているだけでなく、動物自身にとっても探索として意識されているのだろうか。

 動物は、表象や意識を持つのだろうか。表象とか意識とは何だろうか。

02 反射と条件反射とオペラント学習 (20200912)

[カテゴリー:ヒトはなぜ問うのか?」

動物のほとんどの行動は探索である、といえるだろう。しかし、それには様々なレベルのものがある。とりあえず3種類の探索を説明しよう。

#走性と反射

・植物は、外部刺激(光、重力、接触、水分など)に応じて成長運動や示す現象(屈性)があるのに対して、動物には、方向性のある外部刺激(光、重力、接触、水分、など)に対して反応する生得的な行動(走性)がある。

・脊椎動物の場合、特定の刺激に対して意識されることなく起こる反応は、「反射」と呼ばれる。これは脊椎動物についてのみ言われるようであり、「脊椎反射」と呼ばれることもある。これは、姿勢反射、体性反射、内蔵反射に分類される。

 (これは、非脊椎動物の「走性」と同じ種類のものなのだろうか、それとも異なるものであって、脊椎動物の場合には、走性と反射の両方があるのか、頭が良いとされるタコについても「反射」とは言わないのかどうか、などについては今のところ勉強不足のためにわからない。以下では、とりあえず、非脊椎動物の走性と脊椎動物の反射を同種のものとして扱うことにする。)

 このように「走性」と「反射」を理解するとき、非脊椎動物が行う餌の探索は、「走性」の一種だと言えるだろうし、脊椎動物が行う「反射」もまた、探索の一種だと言えるだろう。ここまでのところ、動物がおこなう運動は、「走性」か「反射」であり、それらはすべて探索だとみなせるのではないだろうか。

 では、「条件反射」もまた探索行動だろうか。

#条件反射

 上記の「反射」は「無条件反射」と呼ばれ、生得的におこなう行動である。これに対して、経験によって獲得された反射行動を「条件反射」(conditioned reflex)と呼ぶ。これは「条件反応」(conditioned response)とも呼ばれる。パブロフの犬は、メトロノームの音を聞いただけで唾液を出すようになる。この条件反射は、探索行動だとは言えないように思われる。ところで、例えば、犬が餌の匂いを嗅ぎつけて、そちらの方向に向かい、餌を発見して食べることを学習したとしよう。このとき、餌の匂いを嗅いで、そちらの方向に向かう行動は、「条件反射」だと言ってよいだろうか。もしそう言えるのならば、この条件反射は、探索行動であるだろう。それとも、これは次に見るオペラント行動だろうか。

 (ちなみに、人間ならば、食べ物の匂いを嗅ぎつけて、そちらに向かい、食べ物を発見してそれを食べるとき、「何が美味しそうなものの匂いがする、その匂いはあちらからやってくる、あちらに食べ物があるのだろう、あちらに行ってみよう」というような推論をして、そちらに向かうだろう。だから人間の場合には、反射でも条件反射でもない。)

#オペラント行動とオペラント学習

 「オペラント行動」とは、自発的な行動のことである。行動が自発的であるとは、刺激に対する反応としての行動(反射や条件反射)ではないということであろう。オペラント条件づけとは、特定の自発的行動に対して餌を与えて強化したり、電気を流して弱化することである。特定の自発行動をして、餌をもらうことを学習するプロセスは、探索である。例えば、ネズミがたまたまレバーを押して、餌を手に入れる、という経験を、何度かしたのちに、レバーを押して餌を手に入れることを学習するとき、これを「オペラント学習」とよぶ。レバーを押すことと餌を手に入れることの関係を学習し、餌を手に入れるために、レバーを押せば良いことを学習するとき、この学習は、餌を手に入れる方法の探求だと言える。これは、実現したい目標を実現する方法の探索であり、欲しい対象そのものの探索ではない。

 さて、上記の例、犬が餌の匂いを嗅ぎつけて、そちらの方向に向かい、餌を発見して食べることを学習した場合を考えよう。このとき、餌の匂いを嗅ぎつけて、餌の方に向かうことは、刺激に対する学習された反応、だと言える。したがって、これは条件反射であろう。しかし、餌の匂いの方向に歩いて、餌を見つけるということの学習は、オペラント学習であろう。この場合、前半の条件反射も、後半のオペラント学習も、探索だといえる。

 もう一つ、例を検討しておきたい。排泄行為は、自発的行動だろうか。それは膀胱に尿が溜まってきたという刺激に対する反応ならば、反射であろう。人間の場合には、トイレに行こうと考えて、トイレに行き、そこで排泄するので、大脳を介した行為である。(条件反射もまた大脳を介してした反応であるが、しかしトイレで排泄することは、条件反射ではないだろう。)ペットの犬の場合には、トイレで排泄するように指示されて、成功すると褒められ強化されるという、学習過程を経て排泄行為をするようになるだろう。そうすると、これはオペラント行動である。

 人間の探索とこれらの探索との違いは、何だろうか?

01 動物はいつ探索を行うようになったのだろうか? (20200909)

[カテゴリー:人はなぜ問うのか?]

 人はいつ問うようになったのだろうか? 問うことは、通常は言語を用いて行う行為である。動物は問うことはしないかもしれないが、しかし探索は行う。では、動物はいつ探索を行うようになったのだろうか。動物の探索と人の探索はどこが違うのだろうか。しばらく、これらを考えたい。

西村三郎著『動物起源論』(中公新書)では、次のように植物と動物を次のように定義する。

「植物とは、自ら動くことはできないが、光合成(炭酸同化作用)を通じて無機物から有機物を合成し、自分の体を作り上げていくことのできる生物、一方、動物は感覚し、そして動き回ることができるが、みずからは有機物を合成できないので、外から有機物を取り込んで体を作っていかねばならぬ生物のことを指している。」(p. 12)

動物の本質は、「動物は感覚し、そして動き回ることができる」ということにある。動物とは、動き回る生物であるが、動き回るためには感覚が必要である。動物は、動き回って餌をとる。餌を取るためには、餌を感覚する必要がある。動物の運動と知覚は、主として餌の探索のためのものである。つまり、生物が動物となったときから、生物は探索するのであり、動物とは探索する生物なのである。

 では、ここから人間探索までに、どのような道程があるのだろうか。