カテゴリー: 問答としての社会
ここでは、「社会とは何か」という問いへの答えとして「社会とは問答である」と答えたい。この答えの意味を説明し、証明することがこの書庫の目的である。社会をとらえるときに、とりわけ注目したい概念は、「社会問題」である。書庫「問答としての人格」において、人格を問答の連鎖として説明したが、社会の存立構造は、この問答としての人格と深く結合している。個人の抱える問題と、社会問題の関係を説明することが、とりあえずの課題になるだろう。
24 経済活動とは何か
仕切り直し
会社の利益と人生の幸福
ことから、企業には二つの基本的機能が存在する」と言います。それは「マーケティング」と「イノベーション」です。通常は、利益を上げることが企業の目的であるといわれているが、ドラッカーは、利益は、マーケティングとイノベーションの結果であるといいます。
会社とは何か
NPOと私企業
組織と規則
久しぶりに訪れた森の中です。生き返ります。
19 組織と規則 (20120807)
前回確認したことは、<あらゆる組織が規則によって成立し、あらゆる規則が組織において成立する>ということでした。
ところで、社会にはさまざまな組織と規則があります。それらはどう関係しているのでしょうか。その関係は社会問題によってうまく説明できるでしょうか。
これを考えるために、つぎのように論点を分けて考えたいと思います。
①組織と組織の関係
②組織と規則の関係
③規則と規則の関係
①どのような組織があり、それらはどう関係しているのでしょうか?
組織の要素が、人であるとすると、組織と組織の関係は、二つの集合の関係として考えられます。二つの集合の関係は、
(a)全体-部分関係 (たとえば、国家と地方公共団体、大学と学部)
(b)交差関係、 (たとえば、国家と国際企業、愛知県とトヨタ)
(c)独立 (たとえば、大阪府と奈良県、トヨタとホンダ)
の三つです。
②組織と規則の関係もまた、組織間の関係に応じて、3つに分けることができます。
(a)組織が全体-部分関係にあるときの、組織と規則の関係を考えましょう。
たとえば、国家と県の場合、県にとって、国家の規則である法律は、それに従うべきものです。県の設置そのものが、地方自治法にもとづいています。
県の規則である条例は、法律に反しないことを条件とします。
私たちの前提によれば、国家は、国家によってのみ解決できる社会問題の解決のために設立されたはずであり、県もまた、県によってのみ解決できる社会問題の解決のために設立されたはずです。もしその県が、国家(の法)によって設置されているのだとすると、それは国家が、ある問題の解決のために県を設置したということである。この場合には、国家と県は、別の組織というよりも、県という組織は、国家という組織のその一部分であるといえます。
しかし、全体と部分の関係にある二つの組織が、つねにこのような関係になるわけではありません。たとえば、奈良県の中で、奈良市に住む住民だけで作られているNPOがあるとき、このNPOは、日本国の法律や、奈良県や奈良市の条例に拘束されますが、このNPOは、日本国や奈良県や奈良市の組織の一文であるのではありません。仮にこのNPOがNPO法によって、NPOとして承認された組織であるとしても、このNPOは、日本国という組織の部分組織ではありません。
ところで、このNPOは、この組織によってしか解決できない社会問題を解決するために作られた組織だといえるでしょうか。他のNPOでも解決できるかもしれませんし、あるいはその問題は、奈良市によっても解決できるかもしれません。それでも、このNPOが、社会問題を解決するために作られた組織であるということはいえます。なぜなら、社会問題は次のように定義されたからです。
「社会問題とは、ひとやグループが社会によってのみ解決できるような問題として申し立てる問題である」
社会制度とは何か
自治会の ノスタルジックな 夏祭り
18 社会制度とは何か (20120728)
(何をしようとしているのか、わかりにくいと思うので、展望を書いておきます。
私の探求の最終目的は、問答に注目した理論哲学とこれに対応する形での問答に注目した実践哲学を考えることにあります。
この書庫の目標は、問答に注目して社会を考察することです。そのときに特に重要になるのは、<社会問題>です。現在有力な社会理論は、システム論と社会構築主義だろうと思います。それらに対する不満の一つは、それらが社会変動をうまく説明できないことではないでしょうか。私たちは<社会問題を解決するために社会制度が作られ、そのようなものとして正当化される>と考えることによって、社会変動を説明できる社会理論を作ることができるのではないでしょうか。といっても、これはまだ単なる目論見にすぎません。)
12で示した見取り図の説明を続けましょう。社会問題についての説明をひとまず終えて、社会制度の説明に入りたいと思います。
塩原勉は、「社会制度」についてつぎのように説明しています(『世界大百科事典』平凡社、第二版、「制度」の項目参照)。「社会制度」とは、<価値体系、制度、社会集団からなる複合物の全体>です。狭い意味の「制度」とは、慣習,慣例,法などの「社会諸規範が複合化し体系化したもの」のことであり、「価値体系」とは、この制度を正当化するものであり、「社会集団」とは、この制度の規整の下で活動するものであると説明されます。たとえば、「家族生活は婚姻制度,扶養制度,相続制度,隠居制度,その他の諸制度によって規制されている」とあり、これらの制度は、価値体系によってある価値体系によって正当化されており、この諸制度の下に家族という集団が活動するということのようです。
この説明は、よくできているように見えます。足りないところは、「なぜこのような社会制度が発生するのか」、「なぜこのような社会制度が変動するのか」という説明です。もちろん、社会変動については、「社会変動」の項目を見れば、また興味深い説明があります(事典の中での説明には限界があるので、塩原勉の著作を読む必要があります。ここでは塩原氏の批判を意図しているのではありません。むしろ多くを学びました)。注意したいのは、社会制度の説明と、その発生と変動の説明は切り離せないということです。そしてそれを結びつけて説明するときに<社会問題を解決するために、社会制度が作られる>と考えることが有効であろうということです。
ところで、価値体系は、社会問題の設定の段階で前提として機能しているとおもいます。もちろん、価値体系それ自体が、社会問題の解決のために設定されるということもありえます。その意味で、価値体系は、社会問題の前提として機能すると同時に、社会制度の一部でもあります。このような事情のために、まずは単純な事態を考えておくために、社会制度の中の、<規範ないし規則(塩原氏のいう制度)>と<組織ないし集団(塩原氏のいう社会集団)>について、考察したいと思います。
ここから本題です。社会問題を解決するために、社会制度が作られます。その社会制度は、ある局面では、規則と組織の二つに区別できるようにみえます。例えば、一方に、国家という組織、県や市という組織、警察、病院、学校、消防などの組織があります。他方に、法律、条例、校則などの規則があります。しかし「組織と規則は独立したものではありません」。これの証明を試みましょう。
まず、<どんな組織も規則を必要とします>の証明
ある問題の解決のために共同作業をする必要があるとき、この共同作業をするものが組織です。共同作業が成立するためには、行為の約束(あるいは相互予期)が必要です。組織が、恒常的にある共同作業をするときには、一回の行為の約束(相互予期)ではなくて、規則(の集団的受容)が必要になります。学校は、時間割を守ること、クラス編成に従うこと、宿題をしてくること、などの規則(の集団的受容)によって成立しています。
次に、<どんな規則も組織を必要とします>の証明
規則が成立する(規則が社会的に受容される)ためには、規則に従うべき人々の集団が必要です。例えば、毎朝6時に公園に集まってラジオ体操するという規則があるとしよう。そこに集まる人々は常に同じ人達ではなくて、その都度入れ替わりがあるとしても、そこに一度でも参加した人々がおり、そこにほとんど参加しているひとがおり、参加の頻度はいろいろであるとしても、そこにはゆるやかな集団があります。
ちなみに、この集団は、どのような社会問題を解決するためにつくられたのでしょうか。誰かが呼びかけて、朝の公園でのラジオ体操がはじまったとしましょう。呼びかけたひとの動機は、一人でラジオ体操するよりも数人集まってしたほうが楽しい、ということであったかもしれません。それに賛同する人たちがそこに集まってきたとしましょう。これは、「自然発生的に」成立した規則であり、集団であると言われるかもしれません。しかし、最初に呼びかけたひとの問題(「もっと大勢で楽しくラジオ体操したい」という意図を実現するにはどうすればよいか、という問題)は、大勢で取り組まなければ解決しない社会問題だと言えます。
起源と正当性は異なる
夏の樹木
17 起源と正当性は異なる(20120726)
私たちは、14で、社会問題を次のように定義しました。
「社会問題とは、クレイムを申し立てる人やグループ自身が社会によってのみ解決できるような問題として申し立てる問題である」
しかし、「クレイムを申し立てる」という表現が、「常に特定の人やグループに対して要求する」という意味に理解される可能性があり、それでは定義が狭くなりすぎるように思われるので、これをとって次のように定義したいと思います。
「社会問題とは、ひとやグループが社会によってのみ解決できるような問題として申し立てる問題である」
ここで曖昧なのは、「社会によってのみ解決できるような問題」と言う場合の「社会」です。夫婦で解決しなければ、一人では解決できない問題があるとすると、それは夫婦という社会の問題です。野球をしようとして集まったけれども、人数が足りない時に、どうやってその問題を解決するかは、そのグループで解決する必要のある問題です。学校や、会社や国家なども、社会になります。最も大きな集団は、(AIや宇宙人に出会うまでは)人類になるでしょう。
これらの多種多様な社会は、互いにどのように関係するでしょうか。社会を、個人を要素とする集合として考えるとき、社会同士の関係は次の3種になります。
1,S1(社会1)がS2(社会2)と並んで存在する。
2,S1とS3の一部のメンバーが重複している。
3,S1がS4の一部分になっている。
そして、この社会同士の関係が、社会問題を生み出すことがあるでしょう。その時の社会問題とは、より大きな「社会」の問題ということになるかもしれません。(これについては、後で考えることになるとおもいます。)
次に考えたいのは、次の問いです。
「これら多種多様な社会は、どのようにして発生したのか」
この問いに対して、つぎのように答えたいとおもいます。
「社会は、それ自体が社会問題の解決のために創られたものである。つまり、ある人々 が集まることによってしか解決できない問題が登場した時に、その問題解決に取り組む中で社会集団が成立したのだ」
では、この答えをどのように証明すればよいでしょうか。たとえば、つぎのような説明で充分でしょうか。
<集団が発生するには、原因ないし理由があったはずであり、その原因ないし理由としては、集団によってのみ解決できる問題を解決すると言うこと以外には考えられません>
この説明に対しては、次の反論が考えられます。
<人間は、人間になる前から、つまり霊長類の段階で、すでに群れを作っていたと考えられます。したがって、すくなくとも言語が成立する以前の段階のヒトが作っていた集団については、その原因は、社会問題を解決することではありませんでした。>
この議論は「04 群れを作る理由」の議論の反復になります。そこでは、いつから動物の群れ社会が人間の社会になるのかを考えようとしました。その境界を言語の有無に求め、自覚して「問題を解決する」ができるようになることに求めました。ここでは、最初の説明をつぎのように改めたいとおもいます。
<人間が言語を持つようになってから、形成した集団もあれば、それ以前から成立している集団もあります。しかし、すべての集団は、集団によってのみ解決できる問題を解決するために作られたのであり、またそのようなものとして正当化され、そのような正当化によって存続します。したがって、霊長類の時の群れ社会が、言語を習得したあとにも継承されているとすると、そのときの集団は、集団の問題を解決するものとして正当化されているはずであり、そのようなものとしてのみ存続するのです。もし正当化を持たないならば、そのような集団はやがて解体するでしょう。>
ここから言える重要なことは、次のことです。社会制度は、社会問題の解決のために設立され、そのようなものとして正当化され、そのような正当化によって存続します。しかし、社会制度は、それ自体が、別の社会問題を引き起こすことがあり、そのときにはその解決のために、社会制度の修正や、新たな社会制度の設立が必要なります。またこのような過程をへることによって、社会制度は、その起源となった社会問題の解決のためではなくて、別の社会問題の解決のためのものとして正当化されることもあります。(ニーチェがいうように、起源と正当性は同一であるとは限らないのです。)
提案は弱すぎる?
梅雨明けの 空に浮かぶ 金団雲
16 提案は弱すぎる? (20120720)
私たちの提案に対しては、次の問いが向けられるかもしれません。
「ある人達Aが、xは社会によってのみ解決できる問題であると考え、他の人々Bは、それは社会によらなくても解決できる問題であると考えているとしましょう。このとき、xは社会問題なのでしょうか」
この問いに対して、私たちの提案では、次のように答えることしかできません。
「xはAにとっては社会問題であり、Bにとっては社会問題ではありません」
これでは、定義として弱すぎするということでしょうか?
例えば、ある国の内戦状態を、大統領は国内問題であると考えており、反政府運動の人たちは国際社会の支援がなければ解決できない国際問題であると考えている時、もし大統領が反乱軍を鎮圧したとすれば、彼はそれは国内問題として解決されたと言うでしょう。反乱軍の方は、国際社会の支援がなかったので解決できなかったと言うでしょう。
もし反乱軍が勝って民主化が行われたとすると、反乱軍の方は、国際社会の支援によって解決されたというでしょう。大統領は、国内内問題に対して不当な内政干渉があったので、解決できなかったと言うでしょう。
当事者にとっては、このような答えでは不十分です。しかし、このような場合に何が社会問題であるかについて決定できる定義をしようとするのならば、そこに一定の価値判断や規範を持ち込むことが必要になるでしょう。
しかし、そのような価値や規範そのものが社会によって構成されたもの、広い意味の社会制度であると考えられます。そして、この社会制度は、社会問題の解決策として作られ正当化されるものなのです。このように考えようとするならば、社会問題の定義の中には、このような規範や価値判断を持ち込まないほうがよいと思われます。そのほうがむしろより大きな説明力を持つ理論になるのです。