[カテゴリー:問答の観点からの認識]
「主張の両立不可能性が、問いの同一性から生じるのだとすると、そのことから、問いを構成している前提(事実の概念構造や概念関係)の客観性を主張できるでしょうか?」
この問いに答えたいと思います。
複数の主張が両立不可能であるのは、それらが同一の問いへの答えであることによります。もし主張が異なる問いに対する答えであれば、それらは両立可能です。したがって、主張の両立不可能性のあるところには、同一の問いがあります。
では、問いが同一であるとはどういうことでしょうか。前回述べたように、二つの問いが同一であるとは、二つの問いの<問われるもの>と<問い求められるもの>がそれぞれ同一であるということです。答えの違いは、多くの場合<問い合わされるもの>の違いに起因すると考えられます。例えば、
「そのリンゴは何色ですか?」「そのリンゴは赤色です」
という問答の問いに登場する「そのリンゴ」の指示対象が、<問われているもの>であり、「そのリンゴ」の指示対象の色の説明が<問い求められていること>です。<問われているもの>は答えの中の「そのリンゴ」の指示対象でもあります。そしてこの答えが<問いも求められていること>を提供するものです。この問答において、問いと答えの中の「そのリンゴ」は同一の対象を指示することに成功しています。もし成功していなければ、それは問いと答えの関係になりません。
もし別の二人が「あのリンゴは何色ですか?」「あのリンゴは青色です」という問答を行い、その問いの「あのリンゴ」の指示対象が、前の問いの「そのリンゴ」の指示対象と同じであるとき、この二つの問いは、<問われれるもの>と<問い求められること>が同一であり、この二つの答えは両立不可能となります。この二つの問い中の「そのリンゴ」と「あのリンゴ」は同一の対象を指示するとき、同一の対象の指示が、異なる仕方で行われています。それによって、対象の存在の客観性が暗黙的に示されています。
<問い求められていること>は、前の問いでは「その対象」の指示対象がどんな色を持つか、ということであり、後の問いでは「あの対象」の指示対象がどんな色をもつか、といことであり、「その対象」と「あの対象」の指示対象が同一であるならば、二つの問いの<問い求められていること>もまた同一です。
前の問いの前提は、<「その対象」の指示対象が何らかの色を持つ>ということであり、後の問いの前提は、<「あの対象」の指示対象が何らかの色を持つ>ということであり、二つの問いの<問いの前提>も同一です。この問いの前提は、同一の事実であり、これらの問いを受け入れる者は、同一の事実を受け入れていることになります。
ところで、主張の両立不可能性は、客観的なものではなく主観的なものです。なぜなら、両立不可能性は客観的事実の中にはないだろうからです。そして、客観的事実の中に両立不可能性がないにも関わらず、主張の両立不可能性があるから、その両立不可能性を解消する必要性があります。この必要性は、客観的なものとここでの主観的なものの両立不可能な関係から生じます。このことが、事実の客観性の論拠となるでしょうか。
私たちは、事実の記述を答えとする理論的な問いの答えの客観性は、問いの前提の客観性を前提としていますが、問いの前提の概念構造は主観的に構成されたものである可能性があります。しかし、私たちが主張の両立不可能性を修正しようとするとき、問いの前提は客観的なものであると考え、それに対する主観的な答えを修正しようとしています。私たちが変化を認識することは、変化しないものとの対比において可能になります。(今は、これ以上のことが言えません。)