「これは黄色だ」とどうして言えるのか

              「上の四角は、何色ですか?」と問われたならば、
              「それは黄色です」と我々は即座に答えるでしょう。

このとき、私はどのようにして答えているのでしょうか。
おそらく、これまで「これが黄色だよ」「それも黄色だ」「あれは黄色だ」「こいつは黄色じゃない」
などと沢山の色について学習してきて、黄色にぞくする沢山の色のサンプルの記憶があります。
その記憶を用いて、それと上の四角の色が類似している、ことを確認して、
そこで、「それは黄色です」と答えるのでしょう。。

ただ上の四角だけを見ても、そこから「黄色」という言葉は出てきません。
上の四角を見ることだけでなく、「黄色」の言葉の使用例についての記憶が、必要です。
それから、さらに、それらの記憶された黄色のサンプル群と、上の四角の色が、類似していることの認識が必要です。

たとえば、目の前に二つの四角があり、「その二つの色は似ている」というためには、何が必要でしょうか。
そのためには、「色」の語の使用例の記憶が必要ですが、それに加えて、「似ている」という語の使用例の記憶が必要です。
これは、この場合の二つの色の関係は、これまでに「似ている」で使用例で記憶されている関係のサンプル群と、<似ている>必要があるのでしょうか。そうすると、この場合に<似ている>は、どのようにして知られるのでしょうか。

これをさらに<<似ている>>というように、繰り返えしても、役に立ちそうにありません。

では、このあと、どのように説明したらよいのでしょうか。
もう一度、問いましょう。「これは黄色だ」とどうして言えるのでしょうか。

(もし、なにかよいアイデアがありましたら、教えてください。)

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

「「これは黄色だ」とどうして言えるのか」への5件のフィードバック

  1. SECRET: 0
    PASS:
    人間は全てのものを相対的にみています。
    黄色であれば赤とか青とかと比較することで認識しています。
    私の記事をトラックバックしました。読んでみてください。

  2. SECRET: 0
    PASS:
    いい議論をされてますね。「なぜ?」という発想は哲学に欠かせません。ただ、掘り下げ方が皆さん、科学と数学になってませんね。上の凡人さんのでも、なぜ相対的にみているのですか、と開き直ることができます。正解は「学習したから」です。質問のレベルに応じて「錐体細胞や反射光の波長、認識」と対応して行きます。これが科学的哲学です。

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