森田さん、ご返答ありがとうございました。
プライスの論文の要約と序論しか読んでいないのですが、彼は、熱力学の第二法則「エントロピー増大の法則」についての、ボルツマンの統計力学による証明は、不十分である。統計学的な議論だけではエントロピーが常に増大しつづけることを説明できない、という批判ですね。
この批判自体は、目新しくないのだと思うのですが、「将来の熱力学的振る舞いに関する我々の合理的な期待は、過去についての我々が知っていることに依存しているに違いない」(Abstract)という指摘が、彼の論点なのだろうとおもいました。
(この問題に関心がある方は、Huw Price、’ Boltzmann’s Time Bomb’ をGoogleで検索してくだされば、論文本文を読むことができます。)
ひょっとして、時間の非対称性についての議論のときには、BelnapさんのBranching Space-Time Theory が説明に使えるかもしれないと思いました。もっとも、プライスは、時間そのものが非対称だと考えず、時間の中の物理過程だけが非対称だと考えるのでしょうが、Belnapさんの理論では、時間そのものが非対称性をもつことになるように思います。
以上2点は、ただの感想です。
さて、ご確認(?)の件ですが
ご指摘の通り、
「エントロピーという概念そのものが人間の恣意的な言語体系に依存するものだ」
この主張の可能性を追究してみようとおもっています (正しいという確信はありませんが、間違っているという核心もありません)。
ただし、「恣意的な言語体系」というときに、「自然には無関係に選ばれた言語体系」といういみならば、その通りですが、「個々人が恣意的に選択できる言語体系」という意味ならば、それは狭すぎるかもしれません。「日本語や英語は、人間にとって恣意的な言語体系である」というのと同じような意味で、「人間にとって恣意的な言語体系」という意味です。
もし、私のスタンスが正しいとすると、そのような錯誤の原因が次に問題になると思います。
そのときには、
「生理学的な問題から人間はエントロピーが増大する方向に時間の向きを感じるのだ」
という生理学的な説明の仕方になるかもしれません。
しかし、もっと、社会構成主義的な説明になりそうな気もします。
これについては、今はまだなんともいえません。