多文化主義についてもう一度

以前に、「多文化主義の信念形式」と名づけたのは、次のような形式の信念でした。
   B「私はpを信じます。しかし私は、他の人がpを信じないことを尊重し
     ます。」
次のように表現することもできるでしょう。

  「我々は、我々の社会の伝統的な規範を守りたいとおもいます。ほかの社
   会が、我々のとは異なる規範を採用することを、我々は尊重します。」

しかし、ここではとりあえず、最初の命題について考えてみましょう。
問題は、この信念形式が内的に矛盾していないかどうかでした。

さてここに少し異なる3つの命題が考えられます。
  C「pです。しかし私はpを信じません」
  D「pです。しかし、私は、他の人がpを信じないことを尊重します」
  B「私はpを信じます。しかし私は、他の人がpを信じないことを尊重し
    ます。」

この3つについて、以前に、次のように書きました。
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Cは、「ムーア」のパラドクスで矛盾(?)した発話だと考えられています(その理由の説明の仕方については議論があります。)
Dは、Cよりは矛盾の程度は少ないですが、しかしやはり間違った態度のように私には思えます。
Bは、Dよりも更に矛盾の程度が少ないように思います。Bには、問題がないのでしょうか?
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今考えてみると、Dについての判断は再検討の必要があると思われます。もしDが矛盾していないとすると、B(多文化主義の信念形式)も矛盾していないといえるでしょう。ですから、Dが本当に矛盾した態度なのかどうかを、ここで検討しましょう。

 以前にDが間違った態度であると考えた理由は、

「他の人が明らかに間違った信念をもつことを尊重するということになります。これは、その他者に対してpが偽であることを指摘しないということですから、その他者に対して嘘をつくことになるのではないでしょうか。」

ということでした。

この指摘には、次の二つ問題点があります。
(1)この指摘は、次の二つを区別していません。

  D 「pです。しかし私は他の人がpを信じないことを尊重します」
  D'「pです。しかし私は他の人が¬pを信じることを尊重します。」

ただし、今の文脈でこの区別が重要になるかどうかわからないので、とりあえずは、我々も区別しないでおきます。後で、この点を検討しましょう。

(2)この指摘は、次の二つを混同しています。あるいは、D1からD2が帰結すると考えています。
  D1「pです。しかし私は他の人が¬pを信じることを尊重します。」
  D2「pです。しかし私は¬pという間違った信念を持つ人に、その信念が
    偽であることを指摘しません。」

しかし、この二つは同義ではありません。
またD1からD2が帰結するということもないと思います。
そのことを次に説明しましょう。