二つの死とプロセス

      明石大橋です。

この書庫では、「死に対してどのような態度をとるべきか」という問題について論じます。
この問題に、哲学がどのように答えることができるか、あるいは哲学は何も答えることができないのか、そのことを突き止めたいとおもいます。
 しかし、その前に、哲学ではよくあることですが、この問題そのものの意味をもっと明確にしておく必要がありますので、まずは、それに取り掛かりましょう。
 
 さて前回、「「私が生きたい」が社会的な欲望であるならば、それと矛盾する「人間は死ぬ」の方も、自然的な死ではなくて、社会的な死ではないでしょうか?」という問いを立てました。この問いを言い換えると、次のようになります。「人生論や人生観において「死に対してどのような態度をとるべきか」という問題を設定するときに、問題になっているのは、自然的な死ではなくて、社会的な死ですか?」

 この問いを自分で立てておきながら、二つの死を区別することにどんな意味があるのか、よくわかりません。前回の発言から、時間がたちすぎているのかもしれません。そこで、この問いの前に、「自然的な死」と「社会的な死」の区別について考えてみましょう。

「私たちは、この二つの死を区別できるのか、できるとすればどのように区別できるのでしょうか?」

「人間の自然的な死」とは、「生物としての人間の死」のことだと言えるでしょう。曖昧なのは、「社会的な死」の方です。これは「社会的な存在としての人間の死」だと言えるかもしれませんが、しかし、これではまだ曖昧です。

例えば、カントの思想が今も生きているとすると、カントは社会的に死んでいないということになるのでしょうか。しかし、カントは、ケーヒススベルク大学では社会的に死んだはずです。つまり、カントが死んだので、カントは講義をしなくなりました。カントは大学にやってこなくなりました。カントの葬儀が行われました。カントの後任が決められました(その人も今はもういないでしょうが・・・)。このような意味では、カントは社会的な存在としても死んだのです。

 脳死問題を議論するときには、「死はプロセスである」とよく言われるのですが、このことは、「自然的な死」だけでなく「社会的な死」についても言えるのではないでしょうか。

 それは、次のような意味です。人が生物として死ぬとき、一気にすべての生物機能が停止するのではありません。呼吸がとまり、心臓が止まり、瞳孔反射がなくなり、聴覚反応がなくなり、腎臓が機能しなくなり、肝臓が機能しなくなり、というようなことが状況によって、様々な順序でおこるででしょう。そのあとでも、つめが伸び、髪の毛が伸び、などするでしょう。そして、いずれは、すべての細胞が死ぬことでしょう。このようなプロセスのなかで、従来は三兆候が確認されたときをもって「死亡」としていました。人工呼吸器が登場した今日では「全脳の不可逆的な機能停止」をもって「死亡」とすることもできるかもしれません。あるいは、「全脳の器質死」のような別の基準を作ることもできることでしょう。しかし、これらの基準は全て、人間の生物学的な機能のうちのどれを重視するかという価値判断に基づくものであって、自然の中に基準があるのでないとおもいます。その意味で「死の定義」問題で定義される「死」は、人間の「自然的な死」というよりも、「社会的な死」なのだろうとおもいます。これに対して厳密な意味での「自然的な死」というのは、上のような意味でプロセスであり、どこかで線引きできるものではありません。

 ところで、人間の「社会的な死」もまた、プロセスなのではないでしょうか。「死亡の判定」のような死も、社会的な死ですが、葬儀もまた社会的な死であり、埋葬もまた社会的な死であり、四十九日もまた社会的な死であり、死亡記事が掲載されることが、社会的な死であり、後任が決まることが、社会的な死であり、その人の思い出が語られなくなる事が社会的な死であり、その人を覚えている人がいなくなる事が社会的な死である、というように、「社会的な死」は、「自然的な死」以上に長いプロセスであるようにおもわれます。

これで、とりあえず、「自然的な死」と「社会的な死」の意味とその区別がわかったとしましょう。では、人生論において問題になるのは、「社会的な死」だけなのでしょうか。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

「二つの死とプロセス」への1件のフィードバック

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