冬の味覚、温州みかん、英語でsatsumaだそうです。
昨日の宿題は、「当人は、(b1)や(c1)として自分の心を理解しており、他者が当人の心を(b)や(c)として理解するのだろうか」であった。
まず、(b)と(b1)について考えよう。当人は、次の(b1)として自分の心を理解しており、他者が当人の心を(b)として理解するのだろうか。
(b)個人的な恨みとしての悪意「特定の個人や組織に対する悪意」
(b1)個人的な恨みとしての敵意「特定の個人や組織に対する敵意」
たとえば、隣人Aの騒音がうるさくて迷惑していた人間Bが、隣人Aを殺したとしよう。第三者から見るならば、<隣人AがBに迷惑をかけたことは悪いことであり、BがAを恨むのはもっともではあるが、Aを殺すことは過剰な仕返しであり、それは悪いことである>ということになるだろう。つまり、第三者から見るならば、BのAに対する心は、「悪意」である。
では、このときB自身はどう考えているのだろうか。ある日ついに堪忍袋の緒が切れて、カッとしてAをころしたのだとすると、カッとしているときには、Aに対して怒っているのであって、自分の行為が過剰な仕返しだとは思っていないだろう。犯行後、冷静になって考えると、過剰な仕返しであったということ、そのときの敵意は「悪意」であったことをみとめるかもしれない。では、犯行の時点で、自分の心(気持ち、意志)を「悪意」だと考えることはないのだろうか。あるような気もするし、ないような気もする。
他の例を考えてみよう。AがBを殴ったとしよう。Bは後日Aを待ち伏せて殴り返したとしよう。このとき、Bは「Aに仕返しをすることは悪いことではない」と考えている。なぜなら、もしそう考えていれば、仕返ししないだろうからである。しかし、Bは、もしそのとき近くに警官がいることに気がつけば、仕返しを中止するだろう。なぜなら、仮にAがBを以前に殴ったとしても、BがAを殴り返すことは犯罪になることを知っているからである。つまり、Bは、「Aに対する仕返しであるとしても、Aを殴ることは悪いことである」と知っているのである。(この場合には、Bは、Aに対して「悪意」を持っていると自ら考えていることになる。)
この場合、Bは一方では「Aに仕返しをすることは悪いことでない」と考えており、他方では、「Aに仕返しすることは悪いことである」と考えている。この矛盾について、我々はどう考えればよいのだろうか。
犯罪をしない善良な人間Cの場合には、「Aに仕返しすることは悪いことである」と考えて、仕返しないだろう。しかし、そのような人間Cであっても、「仕返ししたい」という気持ちをもつことはあるだろう。この場合に、Cは、「仕返しすることは悪いことである」と考えている限りにおいて、「仕返ししたい」というその気持ちを「悪意」だと考えるだろう。つまり、Cは自分のうちに「悪意」を見つけるのである。
このとき、Cの心は、矛盾していないだろうか。
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