17 共同注意場面

これもまたドレスデンの桜です。しかし葉が赤いのです。
これは不思議な桜でした。

トマセロのシミュレーション理論の批判をしてきましたが、トマセロの議論を軽視しているのではありません。
もう少しトマセロの議論を追ってみたいと思います。彼は『心とことばの起源を探る』(勁草書房)の「第4章 言語的コミュニケーションと記号的表示」で、「共同注意場面」(joint attentional scene)という非常に興味深い概念を提案します。

トマセロは、子供が言語を習得するには、大人の伝達意図を理解する必要があると考えて、「伝達意図の理解は伝達意図の社会的認知の基盤となるような、何らかの共同注意の場面でのみ可能である。」130といいます。

トマセロは、ここで共同注意に関するこれまでの用語と区別して、「共同注意場面」という新しい用語を導入します。それは、二つの特徴を強調するためです。その一つは、以下の通りです。

「第一に共同注意場面に何が含まれるかということである。共同注意場面とは、一方では、知覚される出来事とおなじではなく、子供に近くされる世界の中の一部のものだけを含む。他方で、共同注意場面は、言語的出来事と同じではなく、言語記号が明示的に示す以上の物を含む。共同注意場面は、したがって、より大きな知覚的世界とより小さな言語的世界の一種の中間、つまり社会的に共有されている現実の、重要な中間的拠点を占めている。」132

「私が強調したい第二の本質的な特徴は、子供は他者とのやり取りにおける自分と自分の役割を、相手や物に対するのと何ら変わらない表示形態の一部として「外側」の視点から概念化し、共同注意場面に含まれる不可欠な要素として理解しているという事実である。」132

第一の特徴を、彼は、次のような例で説明しています。例えば、子供がおもちゃで遊んでいるところに、大人がやってきて、子供と一緒にそのおもちゃで遊ぶとしよう。このとき、そのおもちゃやそれで遊ぶ活動、また、子供自身と大人が、共同注意場面に含まれている。子供が床やソファーをみていても、それは共同注意場面の一部にはなっていない。「大切なのは、共同注意場面は、意図によって決定されるということである。つまり、共同注意場面は、子供と大人が自分たちの携わっているある目標をもった活動として、「わたしたちがしていること」が何だと思っているかによって共同注意場面となり、一貫性をもつ。」132-133

第二の特徴については、彼は次のように説明しています。
「第二の重要な事実は、子供の観点から見て、共同注意場面が、共同注意の対象となる物、大人、そして子ども自身という三つの関係要素を同じ概念平面上に含んでいるということだ。」134
「大人が外界の物に注意を向ける様子を子供がモニターするようになると、その外界の物が子供自身であることがわがる場合もある。子度は、大人が自分に注意を向けるのをモニターするようになると、それによって、自分を外側からみることになる。それだけでなく、子供は大人の役割も同じ外側の観点から把握するので、総合的に言えば、子供は自分自身を役者の一人として含む全場面を上空から眺めているようなものである。」134
これは、言語習得における「役割交替を伴う模倣」を可能にするものとして、重要視されます。

この二つの特徴について少し考えて見ましょう。