資本主義に内在する不当性

人はパンのみにて生きるにあらず、されどパンなしで生きるにあらず。
アントワープの市場にうっていたパンです。
ネロもこれを食べたのでしょうか?

資本主義社会の経済格差を制限するには、その格差が不当なものであることを示す必要があります。
その論証の仕方には次ぎの二つが考えられます。

パターン1<資本主義経済システム自体は正当であり、その限りでそこから生まれる格差も正当である。しかし、大きな格差は、別の規準からすると不当である。そこで、二つの規範の衝突が生じる。そこでこの衝突をどのように回避するかが問題となる。そして結果として、格差の制限が持ち込まれる。>

パターン2<資本主義経済システム自体が、完全に正当なものではない。これに内在する不当性を取り除くないし補償するないし緩和するために、格差が大きくなりすぎないように経済システムを規制する、あるいは税による所得の再分配をおこなう。>

資本主義は、労働力を商品と見なします。しかし、果たしてそうでしょうか。もしこれが間違いであれば、それは資本主義に内在する不当性の一つです。そこで、この書庫では、「労働力は商品ではない」というテーゼの証明をしたいとおもいます。

土地と労働力が商品になったことで、産業資本主義社会が成立しました。現実には、これらは商品として扱われています。しかし、土地も労働力も、他の商品とは異質です。もちろん、これらにかぎらず、食品も、通常の商品とは異質であり、文化的な価値のある絵画も通常の商品とは異質です。このようなさまざまな異質なものを、商品として一括して扱うことで、資本主義が成立し、それが経済活動の駆動力となってきました。多くの資本主義に対する批判は、このことに対する批判です。資源が商品として乱獲され、非経済財とされてきた環境が汚染されてきました。

「会社は、株主のものである」という考えは、「労働力は商品である」という考えを前提しています。もし労働力は商品ではない、と言えれば、会社は株主のものではない、といえるかもしれません。

さて、「労働力は、商品ではない」をどうやって証明しましょうか?