予想される反論
これまでのところで、次のものが、三角測量の中で成立する、ないし構成される、ということを説明した。
・現実認識、意図、両者の矛盾(問い)
・問答ないしその連鎖としての人格
・人格の同一性
しかし、三角測量は、「私」「他人」の存在を前提していたのではないか。これまでの議論は、<人格の存在を前提して人格の成立を説明する>という循環論証になっていたのではないだろうか。このような反論が予想される。
さて、この反論に応えるにはどうすればよいでしょうか。
お正月にお雑煮を食べながら考えたいとおもいます。
皆様、よい年をお迎えください。