社会制度とは何か

自治会の ノスタルジックな 夏祭り

18 社会制度とは何か (20120728)
 
(何をしようとしているのか、わかりにくいと思うので、展望を書いておきます。
 私の探求の最終目的は、問答に注目した理論哲学とこれに対応する形での問答に注目した実践哲学を考えることにあります。
 この書庫の目標は、問答に注目して社会を考察することです。そのときに特に重要になるのは、<社会問題>です。現在有力な社会理論は、システム論と社会構築主義だろうと思います。それらに対する不満の一つは、それらが社会変動をうまく説明できないことではないでしょうか。私たちは<社会問題を解決するために社会制度が作られ、そのようなものとして正当化される>と考えることによって、社会変動を説明できる社会理論を作ることができるのではないでしょうか。といっても、これはまだ単なる目論見にすぎません。)

12で示した見取り図の説明を続けましょう。社会問題についての説明をひとまず終えて、社会制度の説明に入りたいと思います。

塩原勉は、「社会制度」についてつぎのように説明しています(『世界大百科事典』平凡社、第二版、「制度」の項目参照)。「社会制度」とは、<価値体系、制度、社会集団からなる複合物の全体>です。狭い意味の「制度」とは、慣習,慣例,法などの「社会諸規範が複合化し体系化したもの」のことであり、「価値体系」とは、この制度を正当化するものであり、「社会集団」とは、この制度の規整の下で活動するものであると説明されます。たとえば、「家族生活は婚姻制度,扶養制度,相続制度,隠居制度,その他の諸制度によって規制されている」とあり、これらの制度は、価値体系によってある価値体系によって正当化されており、この諸制度の下に家族という集団が活動するということのようです。

この説明は、よくできているように見えます。足りないところは、「なぜこのような社会制度が発生するのか」、「なぜこのような社会制度が変動するのか」という説明です。もちろん、社会変動については、「社会変動」の項目を見れば、また興味深い説明があります(事典の中での説明には限界があるので、塩原勉の著作を読む必要があります。ここでは塩原氏の批判を意図しているのではありません。むしろ多くを学びました)。注意したいのは、社会制度の説明と、その発生と変動の説明は切り離せないということです。そしてそれを結びつけて説明するときに<社会問題を解決するために、社会制度が作られる>と考えることが有効であろうということです。

 ところで、価値体系は、社会問題の設定の段階で前提として機能しているとおもいます。もちろん、価値体系それ自体が、社会問題の解決のために設定されるということもありえます。その意味で、価値体系は、社会問題の前提として機能すると同時に、社会制度の一部でもあります。このような事情のために、まずは単純な事態を考えておくために、社会制度の中の、<規範ないし規則(塩原氏のいう制度)>と<組織ないし集団(塩原氏のいう社会集団)>について、考察したいと思います。

 ここから本題です。社会問題を解決するために、社会制度が作られます。その社会制度は、ある局面では、規則と組織の二つに区別できるようにみえます。例えば、一方に、国家という組織、県や市という組織、警察、病院、学校、消防などの組織があります。他方に、法律、条例、校則などの規則があります。しかし「組織と規則は独立したものではありません」。これの証明を試みましょう。

 まず、<どんな組織も規則を必要とします>の証明
 ある問題の解決のために共同作業をする必要があるとき、この共同作業をするものが組織です。共同作業が成立するためには、行為の約束(あるいは相互予期)が必要です。組織が、恒常的にある共同作業をするときには、一回の行為の約束(相互予期)ではなくて、規則(の集団的受容)が必要になります。学校は、時間割を守ること、クラス編成に従うこと、宿題をしてくること、などの規則(の集団的受容)によって成立しています。

 次に、<どんな規則も組織を必要とします>の証明
 規則が成立する(規則が社会的に受容される)ためには、規則に従うべき人々の集団が必要です。例えば、毎朝6時に公園に集まってラジオ体操するという規則があるとしよう。そこに集まる人々は常に同じ人達ではなくて、その都度入れ替わりがあるとしても、そこに一度でも参加した人々がおり、そこにほとんど参加しているひとがおり、参加の頻度はいろいろであるとしても、そこにはゆるやかな集団があります。

 ちなみに、この集団は、どのような社会問題を解決するためにつくられたのでしょうか。誰かが呼びかけて、朝の公園でのラジオ体操がはじまったとしましょう。呼びかけたひとの動機は、一人でラジオ体操するよりも数人集まってしたほうが楽しい、ということであったかもしれません。それに賛同する人たちがそこに集まってきたとしましょう。これは、「自然発生的に」成立した規則であり、集団であると言われるかもしれません。しかし、最初に呼びかけたひとの問題(「もっと大勢で楽しくラジオ体操したい」という意図を実現するにはどうすればよいか、という問題)は、大勢で取り組まなければ解決しない社会問題だと言えます。