(「温度」の例を説明すると予告しましたが、その前に説明しておきたいことを書かせてください。)
侮蔑語「ボッシュ」によって非保存拡大が生じることを昨日説明しましたが、「ボッシュ」によるこの非保存拡大はどうして起こったのでしょうか。
xはドイツ人である┣xはボッシュである (「ボッシュ」の導入規則)
xはボッシュである┣xは冷酷である (「ボッシュ」の除去規則)
これらに推移律を適用すると次が成立します。
xはドイツ人である┣xは冷酷である
しかし、これは「ドイツ人」や「冷酷」の従来の意味だけからは成立しません。つまり、非保存拡大が生じています。結論のこの推論において、これは推論ですから、「ドイツ人」と「冷酷」は、経験によって結合しているのではなく、意味によって結合していることになります。つまり、「ボッシュ」の使用法を認めることで、「ドイツ人」の意味は大きく変化し、「冷酷」の意味もまた少し変化していることになります。
もしある語の使用を認めることによって、他の語の意味が変化するならば、その語の導入規則と除去規則は、保存拡大(conservative extension)(他の表現の意味を保存して、言語を拡張すること)ではなく、非保存拡大(non-conservative extension)であるといえます。
このように<ある語の使用を認めることによって、他の語の意味もまた変化することになる>ということは、「意味の全体論」が主張していることでもあります。またこのことは、日常言語では、ありふれたことです。
たとえば「べジマイト」という語の導入は、他の語句の意味を次のように変えます。「べジマイトは、野菜からつくられたペースト状のものである」という文で「べジマイト」を説明する時、「野菜からつくられたベースト状のもののなかには、べジマイトがある」と言えることになります。ここで「べジマイトは、黒くて苦いペースト状のものである」ということも認めるならば、これと上の「べジマイトは、野菜からつくられたペースト状のものである」から、「野菜からつくられたペースト状のものには、黒くて苦いものがある」が言えます。これは、「べジマイト」という語を導入する前には、言えなかったことです。つまり、「野菜からつくられたペースト状のもの」の意味が変化しているのです。「野菜」や「黒くて苦いもの」などの意味も変化しています。なぜなら、「野菜からつくられたペースト状のものには、黒くて苦いものがある」は、「べジマイト」の語の学習のあとでは、経験に基づいて成り立つことではなく、表現の意味に基づいて成り立つからです。
こうして論理的語彙は保存拡大であり、日常の言葉は非保存拡大であることが分かりますが、
その中間にある数学や幾何学や自然科学や社会科学の語彙については、どうでしょうか?
次回はこれを考察して、できれば「温度」の話にまでたどり着きたいとおもいます。