16 ローカルな懐疑主義は可能か(2) (20200825)

[カテゴリー:問答と懐疑]

問答推論的意味論は、<問いの意味を理解しているとは、その問いの上流問答推論と下流問答推論について、正しいものと正しくないものを判別できることである>と考えることになる(参照:カテゴリー「問答推論主義に向けて」の「04 推論的意味論から問答推論意味論へ(1)(20200417)」)。


したがって、問いが有意味であるとは、その問いが正しい上流問答推論と下流問答推論をもつことである。前回見たように、原理的に答えを持たない問いは、前提に矛盾がふまれている推論ならば、どのような上級問答推論も正しいものになる。また、原理的に答えを持たない問いは、健全ではありえないので、それのどのような下流推論も正しいものになる。したがって、原理的に答えを持たない問いもまた、正しい上流問答推論と下流問答推論をもつので、有意味である。

 ローカルな懐疑主義は、<ある問いが、原理的に答えを持たないが有意味であること>を主張することであったが、これは整合的な主張である。

 では、ローカルな懐疑主義は、可能なのだろうか。

 それが可能であるためには、「原理的に答えを持たない問いが存在する」と主張できなければならない。しかし、どのような主張についても、それを疑うことが可能である。そうすると、「原理的に答えを持たない問いが存在する」を主張できない。そうすると、ローカルな懐疑主義が可能であるとは、主張できない。

 ウウウ・・・どうすべきでしょうか。