29 同一律p┣pの考察から、議論の修正へ向けて (20210830)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

 (問答論理での)シーケント計算が、他の言語表現の意味を変えないこと、つまり公理(p┣p、同一律)、構造規則の「弱化」「縮約」「交換」、派生規則の「カット」、それに加えて「┣」、これらの使用が、他の表現の意味を変えないことをどうやって証明したらよいのでしょうか。

#公理p┣pについて。

p┣pがpの意味を変えないことは、どうしたら証明できるでしょうか。これを証明することは、<もしp┣pによってpの意味が変化するとしたら、矛盾が生じる>ということを証明することによってできるでしょう。もしpの意味が変化するとすれば、真であったp≡rが、偽になるとか、真であったp→rが、偽になるとか、真であったr→pが偽になる、というようなことが生じるはずです。つまり、従来の真であった式が偽になったり、従来偽であった式が真になったりするはずであり、矛盾が生じるはずです。

(p┣pがpの意味を変えないことについては、今のところこのような背理法による証明しか思いつきません。直観主義論理では、背理法が成り立たないので、直観主義論における同一律の使用がpの意味を変えないことの証明にはなっていません。)

 しかし、ここで重要なことに気づきました。p┣pは、pの意味を変えないのですが、それはpの意味を保存するからではなく、pの意味を作り出すからではないでしょうか。p┣pと語る前に、pの意味が成立しているのならば、pの意味を変えずに保存していると言えますが。しかし、pについて語る時、p┣pが常に暗黙的に考えられているとすると、p┣pは、pの意味を変えずに保存しているのではなくて、pの意味を作り出していることになります。

 一度使用されたpを何度も使用するときには、最初のpの使用への照応的な言及が行われているはずです。pの意味は、一旦作った彫刻が存在し続けるように、pの意味を作ったら、存在し続けえるというのではありません。それが存在し続けるのは、いわば意味の空間においてであり、それを絶えず再構成し続けているのではないでしょうか。つまり、p┣pは、pについて最初に語る時だけでなく、p┣pは、pについて語るとき常に暗黙的に考えられており、pの意味を常に作り出していることになります。

 ここから言えることは、たしかにp┣pは、pの意味を変えないけれども、それは、<pの意味はこの同一律とは同区立に成立しており、同一律はpの意味と無関係である>と言うことではない、と言うことです。そして、同様のことが、これまでみた論理定項についても同じように言えるのではないでしょうか。論理的語彙が、他の語の意味を変えないということは、その語の意味と無関係であるということを意味しないのです。

 ここから、これまで述べてきた論理的語彙と疑問表現による意味の明示化についての説明を、少し変更する必要が生じます。次にこの点を説明したいとおもいます。(今回言及しなかった構造規則とカット規則と意味の関係については、その後の課題とします。)