[ 日々是哲学]
決定疑問は諾否の二つの答えの可能性を考えることによって成立します。補足疑問は、疑問詞に複数の文未満表現が代入される可能性を考えることによって成立します。補足疑問を問うことは、答えに対して開かれていることですが、決定疑問もまた答えに対して開かれています。
このように問いは、複数の答えを想定します。これは複数の世界を想定ということでもあります。この複数の世界は、哲学で言うところの「可能世界」ですが、インターネットないしコンピュータ上に構成される仮想世界(メタバース)もまた、この可能世界の一種です。
問いに答えることは、一つの答えを選択することです。つまり、問いは複数の世界を想定し、答えることは一つの世界を選択することなのです。そして、一つの世界を選択することは、その世界にコミットすることです。
私たちは可能世界やメタバースの中でも、他の人やAIと問答します。そのときの問いは、複数の可能世界やメタバースの可能性を開き、それに答えることは、一つの可能世界やメタバースを選択することです。メタバースの中で問いを立て答えることは、メタバースの中にメタバースを開き、その一つを選択することです。こうした世界の複数展開が続くとき、一体私たちは、どの世界に住むことになるのでしょうか。
ここで特に言いたいことは、人間が問答するとき、それはこれまでも常に複数の世界の可能性を開くことであり、そうしたことを伴わなければ、私たちは問答ができないということです。人として生きていくことは、問答することによって可能になり、問答することが常に複数の可能世界を開くことによって可能であるとすれば、私たちが生きていくことは、複数の可能世界を想定することによって可能になっているということです。フィクションは、おそらく私たちの現実世界での問答のために不可欠であり、つねにすでに現実世界を構成しており、私たちが人間的に生きることを可能にしているのです。メタバースによって、このメカニズムがこれから顕在化するのでしょう。