51 朱喜哲さんへの回答(2)問答推論の規範性と実質推論の規範性(20211129)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

まず次の「相違」についてお答えします。

(1)「「問答推論の正しさ」は先述した実質推論のもつ規範性とは、少なくとも相違があるだろう。」(5)

『問答の言語哲学』では、「実質問答推論」という表現を用いていないのですが、私は問答推論もまた「実質推論」であると考えています。問答推論が実質問答推論であるとき、実質問答推論の規範性は、ブランダムのいう「実質推論」のもつ規範性と同種のものだと考えています。つまり、それは社会的サンクションによって正当化されるものです。

 (ただし、問答関係が成立するための必然的な条件を満たす必要があるので、拙著第4章で説明したような、超越論的な問答推論というものを考えます。他方で、ブランダムにも「経験的なよさ」だけに基づかないような議論があります。例えば、論理的語彙が「保存拡大性」をもつということは、(私の問答推論主義にとっても重要ですが)彼の推論主義にとって重要な出発点ですが、論理的語彙の「保存拡大性」は経験的な事柄ではありません。)

 朱さんの指摘の眼目は、問いに対する答えの正しさと、推論の正しさは、異種的なものである、ということだと思います。私は、(人類においても、個人史においても、個々のの認識の発生においても)原初的には問答と推論は結合したものとして、つまり問答推論として成立していると考えています。後の発達した段階で、問答関係と推論関係に分節化し、別々に成立しているかのように見えるのだろうと考えています。

 私は、<推論は何らかの問いに答えるプロセスとして行われ、また問いに答えることは何らかの推論によって行われる>と考えようとしています。その論証がまだ不十分であることは認めますが、このように考えているがゆえに、問答主義と推論主義が両立しないとは考えていません。拙論の中に不十分な記述があって、両立しないように見えるところがあれば、とりあえず、拙論の方に修正の必要があるのだろうと思います。(ブランダムの推論主義を超えていきたいとは思っているのですが、推論主義の長所を拡張・展開する形で超えてゆきたいと思っています。) 

 ところで、『問答の言語哲学』のプログラムとブランダムのプログラムを対比させるとき、「問答主義」と「推論主義」ではなく、「問答推論主義」と「推論主義」という対比として理解してもらうことが、私の希望です。

 (もし私が「問答主義」という表現を使うとすれば、その時に対比されるのは、「命題主義」とでも呼ぶべきものになります。現在私は、「認識」は、命題としてではなく問答として成立し、「真理」は命題に述語づけられるのではなく、問答に述語づけられる、と考えたいと思っているからです。ただしこのことは、『問答の言語哲学』ではまだぼんやりとしか考えていなかったことです。)

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。