[カテゴリー:平和のために]
#「同意原則」とは次のようなものです。
(以下も、Wikipedia「国際司法裁判所」の項目からの引用です)
「あらゆる国際裁判は[…]当事国の同意なくして管轄権が成立することは決してない。これを同意原則という。 国際司法裁判所における裁判でも同意原則は貫かれている。
国際司法裁判所において管轄権が成立するには、以下の4つの場合がある。
(1) 個別の事件ごとに、両当事国が同意による付託する場合(コンプロミー)
(2) 原告国が被告国の後の同意を待つ形で国際司法裁判所に単独提訴を行い、被告国が同意した場合(応訴管轄、フォールム・プロロガートム)
(3) 一定の事項、事件について包括的に同意をし、条約で当該事件が起こった際に付託することを規定していた場合(裁判条約、裁判条項)
(4) 当事国の双方が国際司法裁判所規程36条2項に基づく選択条項受諾宣言をしていたとき、一方当事国がそれを援用した場合
(1),(2)は事後の同意、(3),(4)は事前の同意である。(2)については、同意原則より、被告国が裁判の開始に同意して初めて管轄権が成立するのであり、単独提訴の段階では管轄権はない。したがって、単独提訴したとしても、被告国が同意しなければ裁判が行なわれることはないし、国際司法裁判所は一切の訴訟手続をしない。」
このように利害当事国双方同意しなければ、裁判は行われません。しかし、裁判で負けそうだと考える当事国は、裁判することに同意しないと思われます。現在のところ、国連の国際司法裁判所は戦争の回避に役立っていないかもしれません。例えば、領土についての争いがある時、裁判に負けそうだとおもえば、裁判に同意せず、裁判に勝てそうだと思うときに裁判しようとするでしょう。双方の同意が必要なので、例えば、領土問題が国際司法裁判所で解決することは無いか、あるいはあっても非常にまれだろうとおもいます。
「公的使用で決定できず、利害当事者の協議でも合意できない場合」に、国際司法裁判所による問題解決を実効性のあるものにするには、この「同意原則」を廃止する必要があるのではないでしょうか。ところで、私たちは、理性の公的使用によって、「同意原則は不要である」をつぎのように証明できるのではないでしょうか。
・人権の尊重を理性の公的使用における推論前提に用いることができる。
・殺人は人権侵害であり、戦争もまた人権侵害であり、それゆえに、戦争を回避すべきである。
・「理性の公的使用で決定できず、利害当事者の協議でも合意できない場合」の紛争は、戦争になる可能性がある。
・「理性の公的使用で決定できず、利害当事者の協議でも合意できない場合」の紛争を戦争に寄らずに解決するためには、国際司法裁判所によって解決するしかない。
・「理性の公的使用で決定できず、利害当事者の協議でも合意できない場合」の紛争は、国際司法裁判所によって解決しなければならない。
・ゆえに、国際司法裁判所による紛争の解決については、「同意原則」は不要である。
以上は、まだ素案ですのでまだブラッシュ・アップの必要があると思いますが、基本的にはこの方向で「同意の不要性」を「理性の公的使用」によって証明できるだろうと考えます。
(国連が、この方向に一歩踏み出すことを願います。)