59 暗黙的推論と実質的推論 (20230611)

[カテゴリー:問答推論主義へ向けて]

私は、疑問表現を取得したあとも、私たちは暗黙的問答を行っていると考えているのですが、これを検討する前に、問答推論ではなく通常の推論についての「暗黙的推論」と「実質的推論」の関係について考えておきたい思います。      

R・ブランダムは、「推論の正しさが、その前提と結論の概念内容を決定するような種類の推論」(ブランダム『推論主義序説』斎藤浩文訳、春秋社、p. 71)を「実質(的)推論」と呼ぶ。通常の推論つまり「形式的推論」では、推論の正しさは、それに含まれる論理的語彙の意味に基づいて説明されるます。しかし、実質的推論では、逆に、推論が正しいということから、論理的語彙の意味を決定します。また論理的語彙の意味だけでなく、その他の語彙の意味も決定することになります。

では、この実質的推論は、前に見た暗黙的推論とどう関係するのでしょうか。暗黙的推論とは、例えば、「雨が降っている」から「道路が濡れる」を結論する推論です。この推論を論理的語彙を用いて明示化すると、「雨が降っているので、道路が濡れる」などの文になるでしょう。これは、原因と結果の関係(前提と帰結の関係の一種)を明示的に表現しています。「ので」は、原因と結果の関係、ないし前提と帰結の関係を明示化する語彙です。

ここで、「雨が降っている」「道路が濡れる」の意味からこの暗黙的推論やこの明示的推論が正しいことがわかるのだとすれば、それは「形式的推論」です。逆に、この暗黙的推論やこの明示的推論が正しいことから、「雨が降っている」「道路が濡れる」の意味が規定されると考えるとき、この暗黙的推論やこの明示的推論は、「実質的推論」です。つまり、暗黙的推論と明示的推論の区別と、形式的推論と実質的推論の区別は、独立しています。

ところで推論は原初的には暗黙的推論であり、それが明示化されるのだと考えられます。さらに、語や文の意味は、原初的にはその使用法であるとすると、暗黙的推論は、原初的には実質的暗黙的推論です。では、実質的暗黙的推論は、次に実質的明示的推論になるのでしょうか。それとも形式的暗黙的推論になるのでしょうか。形式的暗黙的推論は、それぞれの文の意味に基づいて正しいとされる推論でした。そのためには、それぞれの文の意味が前もって確定していなければなりません。文の意味の確定、つまり明示化は、それの使用法、それを用いた推論の明示化かによって可能になります。したがって、実質的暗黙的推論は、まず実質的明示的推論になり、その後で、形式的暗黙的推論になり、最後に形式的明示的推論になるのだと思われます。

 これを準備作業として、次に、問答についての、暗黙的/明示的、実質的/形式的、の区別について考えたいとおもいます。

57 保存拡大性の定義の修正 (20230528)

[カテゴリー:問答推論主義へ向けて]

 私には、tonkで明示化できるような暗黙的な推論は成立していないように思われます。しかし、それを証明することも難しように思われます。

そこで、<暗黙的推論を認めると、「tonk」のような不適切な論理的語彙もまた保存拡大的であることになってしまう>という懸念を回避するために、保存拡大性の定義をつぎのように修正したいとおもいます。

論理的語彙の「保存拡大性」とは、<論理的語彙を(導入規則によって)導入して、直ちに(除去規則によって)除去するとき、論理的語彙の導入と除去の前に、正しくなかった明示的推論が正しくなることはなく、正しかった明示的推論が正しくなくなることはない、つまり、以前の明示的推論関係が保存される>としたいと思います。

このようにすれば、tonkのような論理結合子を排除できます。

56 暗黙的推論について (20230527)

[カテゴリー:問答推論主義へ向けて]

#暗黙的推論(implicit inference)

論理的語彙とは、推論関係を明示化するための語彙ですが、推論は、論理的語彙がなくても可能です。例えば、「これはリンゴです」から「これは果物です」と言うことができます。このとき、私たちは暗黙的に推論を行っています。その推論を明示化すると「もしこれがリンゴであるなら、これは果物です」ということになります。ここでは論理的語彙「もし…ならば、…」を使用しています。私たちは、暗黙的に行っている推論を明示化するために、論理的語彙を使用するのです。もう一つ例を挙げましょう。「これはリンゴです」から「これはナシではない」と言えます。このときも私たちは暗黙的に推論を行っており、その推論を明示化すると、「これはリンゴであり、リンゴはナシではないので、これはナシではない」ということになります。ここでは、論理的表現「ない」「ので」を使用しています。暗黙的に行っている推論を明示化するには、このような論理的語彙が必要なのです。

#論理的語彙の保存拡大性

論理的語彙の「保存拡大性」とは、<論理的語彙(論理結合子と量化子。このほかに何を含めるかは論争の余地があります)を(導入規則によって)導入して、直ちに(除去規則によって)除去するとき、論理的語彙の導入と除去の前に、正しくなかった推論が正しくなることはなく、正しかった推論が正しくなくなることはない、つまり、以前の推論関係が保存される>ということです。

N.BelnapやM.Dummettがこのような論理的語彙の保存拡大性を考えたとき、彼らは暗黙的推論を想定していなかっただろうと思います。私も、『問答の言語哲学』では、このような暗黙的推論を考えていませんでした。

#暗黙的推論を認めるとき、論理的語彙の保存拡大性は変化するのか?

 論理的語彙によって明示化される明示的推論は、論理的語彙を用いないでも暗黙的に成立している暗黙的推論であるとすると、論理的語彙によって可能になるすべての推論は、論理的語彙を除去規則によって除去しなくても、論理的語彙を導入する前から、暗黙的推論として成立していたことになります。したがって暗黙的推論をこのようなものとして想定するとき、論理的語彙の保存拡大性は、自明なこととして成立します。

 ところでベルナップが論理結合子が「保存拡大性」を持つべきだと提案したのは、次の「tonk」のような不適切な論理結合子を排除するためでした。これは、次のような導入規則と除去規則を持つ論理結合子です。

  p┣ptonk r  (導入規則)

      ptonk r┣ p  (除去規則)

    ptonk r┣ r  (除去規則)

上記のような仕方で暗黙的推論を認めると、「tonk」のような不適切な論理的語彙もまた保存拡大的であることになってしまいます。

 この問題を解決するにはどうしたらよいでしょうか。

55 論理的語彙の保存拡大性:再考 (20230521)

[カテゴリー:問答推論主義へ向けて]

前回検討した批判を、「疑問表現の保存拡大性」に基づいて説明すると、それは次のような批判だと思われます。<疑問表現が保存拡大的であるとしたら、その使用によって、その他の推論関係を変えないはずである。したがって、その使用後に両立不可能な関係が成立しているのだとすると、その使用前にも両立不可能な関係が成立していたはずである。したがって、同一の問いに対するある二つの答えが両立不可能であるとしたら、それの二つの主張は、同一の問いで問われる前から両立不可能であったと思われる。>

この批判を検討するために、疑問表現と論理的語彙の「保存拡大性」について考察したいと思います(これについては、『問答の言語哲学』で論じましたが、ここではもう少し議論を深められると思います)。今回はまず論理的語彙の保存拡大性について考察します。

論理的語彙の「保存拡大性」とは、<論理的語彙(論理結合子と量化子。このほかに何を含めるかは論争の余地があります)を(導入規則によって)導入して、直ちに(除去規則によって)除去するとき、論理的語彙の導入と除去の前に、正しくなかった推論が正しくなることはなく、正しかった推論が正しくなくなることはない、つまり、以前の推論関係が保存される>ということです。

ゲンツェンは、論理結合子の使用法をそれの導入規則と除去規則で説明しました。しかし、どのような導入規則と除去規則を明示すれば、どのような論理結合子を設定してもよいとすることはできません。そこでBelnapは、上記の「保存拡大性」を必要条件として提案しました。

論理結合子の導入規則(I)と除去規則(E)は、次の通りです。

ところで、私たちは、論理的語彙を使用する前にも、推論を行っています。それを「暗黙的推論」と呼ぶことにします。私たちは、論理的語彙を導入することによって、暗黙的推論を明示化するのです。これによって、命題と命題の論理関係が明示化されます。

例えば、「これはリンゴです」から「これは果物です」と言うことができます。このとき私たちは論理的語彙を使用しませんが、暗黙的推論を行っています。その推論を明示化すると「もしこれがリンゴであるなら、これは果物です」ということになります。ここでは論理的語彙「もし…ならば、…」を使用しています。つまり、暗黙的に行っている推論を明示化するには、論理的語彙が必要です。もう一つ例を挙げましょう。「これはリンゴです」から「これはナシではありません」と言うことができます。このときも私たちは暗黙的に推論を行っており、その推論を明示化すると、「これはリンゴであり、リンゴはナシではないので、これはナシではない」ということになります。ここでは、論理的語彙「ない」「ので」を使用しています。私たちが暗黙的に行っている推論を明示化するには、このような論理的語彙が必要です。ブランダムは、論理的語彙のこの働きを「論理的語彙の表現的役割」(MIE110,231,AR57,68)とよびます。(これらの語彙は、歴史的に当初は論理的語彙ではなかっただろうとおもいますが、しだいに論理関係を明示化するという役割が明確になってきたのだろうと思います。)

この「論理的語彙の表現的役割」(暗黙的推論が論理的語彙によって明示的推論になること)を認めることは、「論理的語彙の保存拡大性」とどう関係するでしょうか。それを次に考えます。