情熱と決定論

連休後半、信州でフィヒテの勉強に専念することができました。
空間を移動するということは、気分を転換するのによい方法です。

さて、人生論の続きをやりたいのですが、その前に気になったことを書いておきます。

<才能は自然によって決定しており、情熱は社会によって決定している>
とすると、我々が何をなしうるかは、自然と社会に決定されていることになり、個人の自由の余地がなくなってしいそうです。

決定論には、3種類あります。
(1)宗教的決定論
   神による決定、仏教のカルマ、など。
(2)自然法則による決定論
(3)社会的決定論

社会的決定とは、
 「歴史には法則があり、・・・が起こることが必然である」
 「来年も、約3万人が自殺することが、社会学的に予想される」
などです。
<我々が何を選択するか>が社会的の影響を受けているというだけでなく、それ以上に重要なのは、社会において<我々が選択を迫られている>ことと、<選択肢を社会から与えられている>ということです。

このような決定論と自由をなんとか両立させたい(Compatibilism)と思っていますが、
これは、単に自由論の問題のとどまらず、人生の意味についての議論に影響してくるだろうと思います。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

「情熱と決定論」への1件のフィードバック

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