出張で訪れた鳴戸の秋空です。
今日の課題は、次の二つが同義でないこと、またD1からD2が帰結するということもないことを示すことです。
D1「pです。しかし私は他の人が¬pを信じることを尊重します。」
D2「pです。しかし私は¬pという間違った信念を持つ人に、その信念が偽であることを指摘しません。」
次の二つが、区別されるべきであることを確認しましょう。
「私は、xさんを人格として尊重します」
「私は、xさんの意見pを尊重します」
この二つの区別を念頭に置くとき、次の二つのどちらのケースもありうることがわかります。
「私は、xさんを人格として尊重して、かつxさんの意見pを尊重します」
「私は、xさんを人格として尊重しますが、xさんの意見pを尊重しません」
さて、「私はpと信じています」もまた、大きく分けて二つの場合があります。
「私は、確信を持って、pと信じています。つまり、pが真であることに確信を持っています。」
(これは、「pです」という場合と同じ強さの信念だといえるでしょう。)
「私は、確信はありませんが、pと信じています。つまり、ひょっとするとpが偽である可能性を認めます。」
私が確信を持ってpを信じているのだが、xさんが¬pを信じているとき、私は、xさんを人格として尊重することはできても、xさんの信念¬pを尊重することはできないでしょう。例えば、我々は5+7=12を確信を持って信じていますが、xさんが、5+7=13だといったとすると、彼のその信念を尊重することはできないでしょう。仮にその信念をあえて訂正することをしない場合があるとしても、それはその信念を尊重するからではなくて、他の理由があるからだと思われます。
さてD1を考えて見ましょう。
D1「pです。しかし私は他の人が¬pを信じることを尊重します。」
これは曖昧でした。これは次の二つの意味に理解できます。
D1a「pです。しかし、私は¬pを信じている他の人を、人格として尊重します」
D1b「pです。しかし、私は、他の人の信念¬pを尊重します。」
D1aの態度には、問題はないと思います。しかし、D1bの態度は、矛盾しているように思われます。
ところで、D1bとD2「pです。しかし私は¬pという間違った信念を持つ人に、その信念が偽であることを指摘しません。」は同じ意味になりそうです。
しかし、D1aとD2は同じ意味ではありません。
さて、xさんの人格を尊重することからは、xさんの信念を尊重することは論理的に帰結しないのだから、D1aからは、D1bもD2も帰結しません。
さて、これで今日の課題は、解決しました。
前回の話に戻りましょう。
以前に、次の三つの命題を考えようとしました。
C「pです。しかし私はpを信じません」
D「pです。しかし、私は、他の人がpを信じないことを尊重します」
B「私はpを信じます。しかし私は、他の人がpを信じないことを尊重します。」
Cはムーアのパラドクスです。これは、矛盾(?)しています。
Bを多文化主義の信念形式と名づけました。
DとBは多義的であったので、今日の分析を受けて、次のように言い換えようと思います。
D″「私は確信を持ってpを信じています。しかし、私は、pを信じない他の人を尊重します。しかし、私は他の人の信念¬pを尊重しません」
B″「私は、確信はありませんが、pを信じています。しかし、私は、pを信じない他の人の尊重します。また、私は他の人の信念¬pを尊重します。」
このように変更すれば、D″もB″も整合的な態度だとわかります。
多文化主義の信念形式BやB″は、整合的な態度だといえそうです。
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