凡庸な悪の起源について

           フィヒテ『道徳論の体系』全集第9巻、以下で引用した本です。

私は、悪意には「凡庸な悪意」と「特異な悪意」があるように思う。前者は、その動機、つまり悪意の原因ないし理由が容易に想像できるもののことである。この書庫で分析したいのは、その動機がわかりにくい、後者の「特異な悪意」の方なのだが、このような二分法も、とりあえずの設定である。

前者の凡庸な悪意については、たとえば、次のフィヒテの説明が手がかりになるだろう。
フィヒテは、人間の三つの根本悪癖について次のように述べている。

第一の真の積極的な根本悪、怠惰について
「反省に対する根源的な怠惰、またそこから帰結することだが、この反省に従った行為に対する根源的な怠惰・・・これが真の積極的な根本悪であろう。」(フィヒテ『道徳論の体系』忽名敬三、高田純、藤澤賢一郎訳、フィヒテ全集第9巻、晢書房、訳242)
「カントがきわめて正しく述べているように、人間は生まれつき怠惰なのである。」(訳245)

第二の根本悪癖、臆病について
「この惰性からさしあたり発現するのが、人間の根本的悪癖としての臆病である。臆病とは、われわれの自由と自立性が他人のそれと交互関係にあることを主張する際の惰性である。いかなる者でも、相手の弱さを断固として確信しているときは、その相手に対して十分に勇気をもつ。しかし、このように確信していないときには、人は、つまり、自分自身よりも 強い――その強さがいかなる種類のものであれ――と推測される者に関わるときには、自分の自立性を主張するのに必要な力の行使を恐れ、屈服してしまう。――物理的意味であれ道徳的意味であれ、人間の間にみられる奴隷状態はこのようにしてのみ説明されることができる。すなわち、卑屈と追従がそれである。」(訳246)

第三の根本悪癖、不実(虚偽性)について
「臆病者は心底からこのように服従するのではないが、服従する際に、とくに狡知と欺瞞を当てにする。というのも、臆病さから自然に生じる人間の第三の根本的悪癖は、不実(虚偽性)であるからである。」訳246「すべての不実、すべての嘘、すべての詭計や策略は、抑圧者がいるために生じるのである。他人を圧迫する者はこのことに対して準備ができていなければならない。――臆病者だけが不実である。勇気ある者は嘘をつかず、不実ではない。たとえ徳のゆえではないにしても、誇りと性格の強さのゆえにそうなのである。」(訳247)

「怠惰」から「臆病」がうまれ、「臆病」から「虚偽」が生まれる。臆病から、虚偽が生まれるという説明は、ニーチェの『道徳の系譜』での「奴隷道徳」を思わせるようなするどい分析だと思う。

凡庸は悪意は、このような仕方で説明できるだろう。

(読者?の皆様、悪意の起源についての説明で興味深いもの、重要なものがありましたら、ぜひ教えてください。)