41 ベイズ推論から問題設定の反証主義へ (20221023) 

[カテゴリー:日々是哲学]

ポパーの反証主義は、命題が科学的であるかどうかを区別するために、命題が反証可能であるかどうかをもちいることを提案しました。ポパーは、それを命題が有意味か無意味かの区別に使えるとは考えていませんでした。科学的な命題は、反証可能であるから、反証されたならば、それを修正することになります。ポパーは、それの繰り返しによって、次第に真理に近づくと考えました。

これに対しては、<ある命題が反証されたときに、他の前提を加えたり修正したり除去したりして、その命題を維持することが可能である>という批判がありました。反証を無効化するこのプロセスは「免疫化」と呼ばれています。ただし、反証主義には、探求を始めるために確実な出発点を見つけなければならない、という困難を回避できる、という長所がります。

ところで、問いの前提について、それの証明が必要だと考えるのではなく、とりあえず問いの前提を設定して、それが反証されたならば、それを修正することによって、より正しい問いの設定に接近していくという方針を考えることができます。これを「問題設定の反証主義」と呼びたいとおもいます。ところで、ポパーの反証主義に対して、どのような命題も反証に対して免疫化可能であるという批判があったように、この問題設定の反証主義に対しても、どのような反証に対しても免疫化可能であるという批判が可能です。ただし、反証主義の長所、つまり<探求を始めるために確実な出発点を見つける必要がない>という長所をより、強化するのに役立ちます。つまり、反証主義では、ある問題に対する答えをとりあえず設定して、その正しさをテストにかけるという仕方で探求を開始できたのですが、そのとき、問題の設定の適切性については言及していませんでした。ある問題に対する答えを設定する前に、問題の設定をしているのですが、この問題の設定についても、私たちはとりあえず問題を設定して、それの適切性をテストにかけて修正するという仕方で、探求を始めることができるのです。

 (これがベイズ推論と似ていることは、一か月後に、カテゴリー「人とはなぜ問うのか」で論じたいとおもいます。)

40 世襲と民主主義 (20221012) 

[カテゴリー:日々是哲学]

「親ガチャ」という言葉がはやっています。親を選べないことから帰結する不平等を表す言葉です。岸田首相が、息子を秘書官にしたことが、政治家の世襲として批判されています。岸田首相の息子が将来彼の選挙地盤の後継者となることが決まるならば、実質的に他の候補者が排除されることになるでしょう。これが政界全般、特に自民党に蔓延している文化です。これでは、日本の政治はよくなりません。世襲制度の愚かさは、もし大学教授が世襲ならば、学問研究の水準は落ちてしまう、ということを考えれば、明らかです。

自由競争やその結果の格差が、正当であるためには、競争の機会均等が保証されている必要があります。機会均等が保証されていない情況で、自由競争することは、不当な格差を拡大させます。世襲はその典型例です。しかし、世襲は日本社会にまだまだはびこっています。歌舞伎、茶道、華道、などの世界もそうです。もし歌舞伎の世界が世襲でなければ、歌舞伎はもっと多様な展開をしていたことでしょう。日本の世襲文化の大本にあるのは、天皇制です。天皇制は君主制の一形態であり、民主主義に反します。日本社会の閉塞衰退の一部は、世襲制度に由来するのではないでしょうか。

39 戦争の時こそ理性の公的使用を! (20220621) 

[カテゴリー:日々是哲学]

カントは『啓蒙とは何か』で、「理性」の使用を「公的な使用」と「私的な使用」に分けています。公職に就くものが職務上理性を使用すること、聖職者が説教すること、将校が上官の命令に従って行為すること、カントによれば、これらは理性の「私的な使用」です。これに対して、公衆を前にしての学者の理性使用は「公的な使用」です。そして、教区の聖職者が、学者として信条書の欠点についての吟味を公衆に伝えることや、上官の命令を受けた将校が学者として軍務における欠陥をしてきし、その指摘を公衆の判定に供することもまた、理性の「公的使用」になります。つまり、「一定の共同体において妥当する真理なり規範なりを前提している場合には、理性の「私的使用」となり、聖職者や将校であっても、共同体に受け入れられている真理や規範の妥当性を相対化して問い吟味する場合には、理性の「公的使用」となります。

戦争を防ぐために何より必要なのは、理性のこのような「公的使用」ではないでしょうか。また戦争が始まって、国民がナショナリズムに熱狂しているときに、何より必要なものも理性の「公的使用」ではないでしょうか。

38 哲学は無力? (20220514) 

[カテゴリー:日々是哲学]

哲学は無力?

ウクライナの戦争を止めるにはどうしたらよいのでしょうか。「哲学は無力だ」と考える人がいるかもしれませんが、私はそう考えません。何故なら、戦争を支持している人もまた、ある哲学に依拠して戦争を正当化しているからです。つまり、ここには哲学同士の争いがあり、戦争に反対する哲学が、戦争に賛成する哲学に負けているのです。

秩序よりも自由が大切です。

プーチンは、自由主義は古い、自由よりも秩序が大切だ、と考えるようです。しかし、今日の我々は、「普遍的な一つの正しい秩序」が存在しないことを知っています(ポストモダンの時代です)。プーチンが大切だと考える秩序は、プーチンにとっての秩序であり、それは多くの人にとっては無秩序でしかありません。指導者が「秩序」の名のもとに自由を制限するとき、それは指導者にとって都合の良い「秩序」であって、多くの人にとってはむしろ彼らの秩序を壊すものです。「一つの正しい秩序」がない世界では、様々な人にとっての様々な秩序の可能性を保障するために、自由を保障することが何よりも必要です。つまり、秩序よりも自由が大切です。

(これに対して、プーチンならばこういうかもしれません。「それでは無秩序な混乱した社会になる」と。しかし、本当にそうでしょうか。プーチンがおそれる無秩序で混乱した社会は、多くの人々にとっても無秩序で混乱した社会なのでしょうか。プーチンにはそれを考えてほしいです。)

37 問答とメタバース (20211127)

[ 日々是哲学]

 決定疑問は諾否の二つの答えの可能性を考えることによって成立します。補足疑問は、疑問詞に複数の文未満表現が代入される可能性を考えることによって成立します。補足疑問を問うことは、答えに対して開かれていることですが、決定疑問もまた答えに対して開かれています。

 このように問いは、複数の答えを想定します。これは複数の世界を想定ということでもあります。この複数の世界は、哲学で言うところの「可能世界」ですが、インターネットないしコンピュータ上に構成される仮想世界(メタバース)もまた、この可能世界の一種です。

 問いに答えることは、一つの答えを選択することです。つまり、問いは複数の世界を想定し、答えることは一つの世界を選択することなのです。そして、一つの世界を選択することは、その世界にコミットすることです。

 私たちは可能世界やメタバースの中でも、他の人やAIと問答します。そのときの問いは、複数の可能世界やメタバースの可能性を開き、それに答えることは、一つの可能世界やメタバースを選択することです。メタバースの中で問いを立て答えることは、メタバースの中にメタバースを開き、その一つを選択することです。こうした世界の複数展開が続くとき、一体私たちは、どの世界に住むことになるのでしょうか。

 ここで特に言いたいことは、人間が問答するとき、それはこれまでも常に複数の世界の可能性を開くことであり、そうしたことを伴わなければ、私たちは問答ができないということです。人として生きていくことは、問答することによって可能になり、問答することが常に複数の可能世界を開くことによって可能であるとすれば、私たちが生きていくことは、複数の可能世界を想定することによって可能になっているということです。フィクションは、おそらく私たちの現実世界での問答のために不可欠であり、つねにすでに現実世界を構成しており、私たちが人間的に生きることを可能にしているのです。メタバースによって、このメカニズムがこれから顕在化するのでしょう。

36 フィヒテのスピノザ批判にもどる (20211005)

[カテゴリー:日々是哲学]

前回説明したフィヒテの3つのアイデアは、互いに独立しているのではなく、第一のアイデア「事行」を前提して、そこから第二のアイデア「絶対知」が成立し、この「絶対知」を前提して、第三のアイデア「絶対者」が成立するという関係にあります。私自身は、この3つのアイデアすべてにそれぞれ疑念を持っているのですが、しかし、フィヒテ哲学に可能性があるとすれば、それは、この3つのアイデアを生かしていくことにあるだろうと思っています。

 以上を前置きにして、フィヒテのスピノザ批判を説明したいとおもいます。フィヒテは、スピノザ哲学を唯物論とみなして、それを批判します。前に(31回)に述べたように、フィヒテがそれを批判するのは、スピノザが意志の自由を否定するからでした。スピノザは、個人の意思決定が自由であると考えることを錯覚だとして批判するのですが、しかし実体(神)については、それが「自由原因」であることを認めます(『エチカ』第1部定理17系2)。この証明は、次の定義に基づいています。「自己の本性の必然性のみによって存在し・自己自身のみによって行動に決定されるものは自由であるといわれる」(第1部定義7)。

 スピノザにとっては、「自由」とは、「自己の本性の必然性」にしたがって行動を決定することなのです。このスピノザに影響されたシェリングとヘーゲルもまた、自由を「内的必然性」に従うことと考えました。

 シェリングは『人間的自由の本質』において「行為というものは、英知的存在者の内奥から、ただ、同一性の法則にしたがって、また絶対的な必然性をともなって、のみ、生じてくることができるのであって、このような絶対的必然性のみが、また絶対的自由でもあるのである。」(今本が手元にないのですが、『人間的自由の本質 およびそれと関連する諸対象に関する、哲学的諸研究』1809年(『世界の名著 続9 フィヒテ シェリング』中央公論社)渡辺二郎訳、おそらくp.460)と言います。ちなみに、ここでシェリングは、フィヒテの自由を「選択の自由」とみなし、批判しています。

 ヘーゲルは「自由」を「私が私自身の許にある時、私は自由である」(Werke,12,30)と定義しますが、この定義は、「自己の本性の必然性」に従うというスピノザの定義とほぼ同じです。ヘーゲルは、『小論理学』では「必然性の真理は自由である」とも述べています。ヘーゲルもまた、スピノザやシェリングと同様に「自由=内的必然性」と考えているのです。

 若いころにフランス革命にだったドイツ観念論の哲学者たちにとって、「自由」は非常に重要な概念でした。そして「自由」をどう定義するかは、彼らの哲学において重要な課題となります。シェリングとヘーゲルは、スピノザの影響で、自由=内的必然性ととらえるのです。そして、シェリングもヘーゲルもフィヒテが考えている「選択の自由」に対しては批判的でした。

 このフィヒテ理解は正しいです。たしかにフィヒテは自由を「選択の自由」として考えていました。ただし、フィヒテは、「内的必然性=自由」という自由理解に否定的でした。フィヒテにとっては、「選択の自由」こそが真の自由概念なのです。(私もこれに賛成です。なぜなら、内的必然性=自由という考えには曖昧な部分が残りますし、何が内的必然性であるかを考える時に、自分の価値観を暗黙の裡に挿入しているように思われるからです。実存主義を持ち出すまでもなく、「内的必然性」をそもそも認めない人も多いでしょう。)

 スピノザ(シェリング、ヘーゲル)とフィヒテとの「自由」理解の違いは、「絶対者」の理解の違いと密接にリンクしています。スピノザ(シェリング、ヘーゲル)の絶対者は、個人を含めてすべての個物をその中に含んでいる汎神論的な絶対者です。それゆえに、絶対者は個人の内的必然性もまた含んでいるのです。これに対して、フィヒテの絶対者は、純粋な存在であって、個人はその外部にあります。個人や個物は「絶対知」の内部に成立するものですが、その「絶対知」は「絶対者」の外部にあります。「絶対知」は「絶対者の現象」と呼ばれます。「絶対知」の内容は、知の必然的法則によって決定されるのですが、「絶対知」の存在は、法則によってではなく、また絶対者によってでもなく、自由によって成立します。「絶対知」は必然的法則をもつ「内容」と、自由によって成立する「形式」という二つの契機から成っており、このうちの前者の必然的法則の根拠として「絶対者」が想定されています。他方、知の「形式」である「自由」は、知の必然的法則から独立しているのです。この自由は、必然性を持たない偶然的な決定ないし選択なのです。

 スピノザ、シェリング、ヘーゲルでは、絶対者は汎神論的全体(ヘン・カイ・パーン)であり、それゆえに、絶対者の内的必然性は、個人はそれから独立した選択の自由を持つことは出来ません。これに対して、フィヒテは「ヘン・カイ・パーン」を否定します。フィヒテの枠組みでは、いかなる必然性や法則からも自由な「選択の自由」が可能になります。

 フィヒテが、このような「自由」概念を採用するのは、<存在するとは知られることである>とする「事行」や「自己意識」の理解のためです。彼の徹底した観念論は、スピノザ、シェリング、ヘーゲルの、「自由」理解、「絶対者」理解とは、両立しないのです。

 フィヒテは、晩年の講義「意識の事実」(1810)において、彼の「自由」理解を次のように明確に述べています。

「知そのものは、その内的形式と本質からすると、自由の存在である。[…]人は一見して、自由というのはそれだけで存立する別のなにものかがもつ特性であって、そのものに内属するのだ、と考えたくなるかもしれないが、そうではなくて、自由は独自の自立的存在にほかならないのである。そして、自由のこの自立的で別個の存在こそが知なのである、と言いたい。」(GA II/12, 27f, SW II, 550, 330, 全集19巻、43)

ここでフィヒテは、自由はある存在者の特殊な能力とか特殊な性質ではないといいます。彼の言う自由は、スピノザの「内的必然性」に従うことのような能力や性質ではなく、ある形式で存在することそのもの、あるいは存在形式に他なりません。彼は自由についてのインフレ主義的な解釈を排して、デフレ主義的な解釈を提示していると見ることができます。つまり、自由は、存在内容にかかわるのではなく、存在形式に関わるものなのです。知の存在は、それ自身が知られている必要があります。そのような自己知としての知の存在は、自由という存在のあり方をします。知と自由は、フィヒテにとっては不可分の存在形式なのです。知が存在するためには、知が存在することが知られている必要があり、また行為や知の活動が自由であるためには、活動が自由であることが知られている必要があり、また自由であることを知る活動自身も自由でなければなりません。もし<そのように考えない>ならば、私たちは知や自由とは無関係に成立している存在を、知や自由の<担い手>として認めることになるでしょう。しかし、そのような存在を認めることは、二元論であり、フィヒテが追求している徹底的な観念論とは矛盾するのです。

 (以上で、31回から行ってきた、フィヒテのスピノザ批判の説明を終わります。もう少し詳しい説明は、来年に出版される予定の共著論文集をご覧ください。出版されましたら詳しい情報をお知らせします。)

 では、私たちは、フィヒテの言う「事行」(自己意識)について、また「絶対者」(純粋存在)について、どう考えるべきでしょうか。クワインの存在の言語相対性の主張、中期パトナムの内部実在論は、現在でもある程度の説得力を持つと思うのですが、その場合、世界のありようを説明する理論は、言語相対的であり、言語を超えた世界については、語ることができません。しかし、それが存在すると想定することは可能であり、言語相対的であれ言語を決定すれば、理論は必然的なものとして立ち現れることになります。その理論の必然性を説明するために、理論の背後に純粋存在を想定することは出来そうです。これは現代における一つの有力な存在論の形でしょう。フィヒテが考えていた知識学の枠組みは、この考えに似ているのです。

 ここから先をどう考えるかは、私たちの課題です。

35 フィヒテの3つのアイデア (20211003) 

[カテゴリー:日々是哲学]

前回説明したのは、フィヒテがカントの「統覚」のアイデアを発展させて、彼の「事行」「知的直観」「自己意識」を考えたということです。意識される意識と、意識する意識が同一である自己意識(事行、知的直観)をすべての意識の根底に想定するということです。

 しかし、これには疑念が付きまといます。その疑念の根拠は、「内省」によってそれらについて語るという方法にあります。「事行」や「知的直観」や「自己意識」や「知」といっても非常にあいまいです。フィヒテはそれらを明証なものと考えたかもしれませんが、言語論的転回を経た現代の私たちからすると曖昧過ぎます。知の内容はやはり命題として語られる必要があります。また現代の脳科学の知見と整合的な仕方で「意識」や「自己意識」について説明できなければ、疑念は残ります。ただしこれは私たちにとっての課題です。

 この「事行」がフィヒテ知識学の基礎となる<第一のアイデア>です(ヘンリッヒ『フィヒテの根源的洞察』が、このアイデアの画期性を明確に論じました)。 

 フィヒテ知識学の<第二のアイデア>は、「事行」から<存在するとは知られることである>という「観念論」が帰結し、その主張から、全ての知を包摂する一つの「絶対知」の存在を主張するということです。このような「絶対知」理解については、前(33回)に述べました。

 <第三のアイデア>は、この絶対知の分析から、絶対知の根拠として「絶対者」を想定するというアイデアです。これは後期フィヒテのアイデアです。前期フィヒテは<存在するとは知られることである>と考えて、物自体を否定して、徹底した観念論を考えようとしていたのに、後期フィヒテがなぜ「絶対者」を想定するようになるのかは、フィヒテ解釈にとって大きな問題でした(この変化ともうひとつの変化の説明がいわゆる「変説問題」です。もう一つの変化とは、前期フィヒテは「自我」から出発して、認識と実践を体系的に説明しようとしていたのに対して、後期フィヒテは、「自我」ではなく「絶対知」ないし「知」から出発するようになるという変化です)。

 後期フィヒテの「絶対者」と「物自体」の違いは、次の点にあるだろうとおもいます。「物自体」というのは、表象としての対象の原因です。しかし、例えば対象の知覚の原因として物自体を想定したとして、その物自体も、反省してみれば「物自体」という表象です。そうすると、その表象の原因としてさらに、別の物自体を想定することができます。これはどこまでも反復可能です。物自体だと見なしている対象が、表象に過ぎないことを反省することによって、観念論を維持できますが、しかしそのときその「物自体」という表象の原因としての別の物自体に直面します。これの反復では、観念論は完成しませんし、実在論も完成しません。この間をいつまで揺れ動くことになります。

 これに対して、後期フィヒテは、全ての知を包括する一つの「絶対知」を想定します。すべての存在をこの「絶対知」に還元して観念論を主張します。ただし、私たちが恣意的に対象を構成できるのではありません。諸対象の表象は、「必然性の感情をともなう表象」であり、それは知性の必然的な法則に支配されています。つまり、絶対知の内容は、この必然的な法則によって規定されているのです。フィヒテは、この必然的な法則の根拠として「絶対者」を想定します。絶対者は、個別の対象の表象の原因(物自体)ではなく、知の必然的な法則の原因です。「絶対者」もまた私たちの「表象」ですが、それは他の表象と同じく心の必然的な法則に従っています。この「必然的な法則」の原因は、絶対者ですが、これ最初の絶対者とおなじものであり、別の「絶対者」へとさかのぼっていくことはありません。つまり、「物自体」は自我による物の表象の原因ですが、絶対者は、知の必然的な法則の原因である(それゆえに、無限にさかのぼらない)という違いがあります。(これが現在のところの私の理解です。)

 このようにフィヒテの「絶対者」を説明してようやく、フィヒテのスピノザ批判について語ることができます。

34 フィヒテの反実在論 (20210930) 

[カテゴリー:日々是哲学]

(フィヒテとスピノザに関する論文とある本の査読がようやく終わりました。あと、科研の申請書が残っていますが、それも峠を越えましたので、これから元のペースでかきこみできるだろうと思います。)

 前回次のように述べました。

フィヒテは、カントの「統覚」の概念に触発されて、<存在することは、知られることである>と考えました(フィヒテの表現では、例えば「あらゆる存在が知性の思考によってのみ生じ、それ以外の存在については何も知らないとする」となります)。ここから、知の存在もまたさらに知られていることになります。また知と知の関係も、関係が存在するためには、知られている必要があります。これらを反復すると、全ての知を包括する一つの知(絶対知)に行き着きます。

  この論証の難点は、<存在することは、知られることである>という出発点にあります。フィヒテは、カントの「統覚」の概念から、このことに思い至ったのだろうと思われます。しかし、カントは、フィヒテのようには考えませんでした。カントは次のように言うだけです。「あらゆる表象に、「私が考える」が伴い得るのではなければならない」。

 これは、あらゆる表象について、もし「あなたはそれを考えていますか?」と問われたら、「はい、私はそれを考えています」と答えることになる、という意味だと思います。例えば、私の部屋の中にあるすべて物について、私はそれが存在すると考えているのではありません。わたしが、そう考えていないときにも、部屋の中のものはありますし、その部屋の中にはないと考えていたものすら、見つかることがあります。

 フィヒテは、このような反論にどう答えるでしょうか。おそらくダメットの反実在論のような答え方をするでしょう。例えば、部屋の中にはないと思っていた昔の爪切りが出てきたとしましょう。このとき、爪切りを発見した時、爪切りは知られることによって、存在していると言えるのですが、普通は、爪切りを発見する前も爪切りは部屋の中に存在していたと考えるでしょう。つまり、「爪切りは私の部屋の中に存在するかしないかのどちらかである」(二値原理)が正しいと考えます。「爪切りが発見されたのだから、発見していなかった時にも、爪切りは存在したのだ」と考えます。古典論理の二値原理は、物の存在がそれの表象から独立しているという実在論とこのように結合しています。それに対して古典論理の二値原理をとらず、直観主義論理を採用するときには、物が存在するかしないか、を知らないときには、「その物は存在するかしないかのどちらかである」という二値原理は妥当しないと考えます。つまり、爪切りを発見する前には、爪切りはあるともないとも言えません。これは「爪切りがあるかないか分からない」ということではありません。「爪切りが有るか無いか決まっていない」ということです。

 つまり、反実在論の立場で、<存在することは、知られることである>と主張るときには、<知られていないものは、存在しない>ということではなく、<知られていないものは、あるかないか、決まっていない>と主張することになるだろうと思います。反実在論の立場では、「ある対象xが存在しない」と語るためには、「ある対象xが存在しない」ということが知られている必要があります。

 フィヒテがこのように考えていることの証拠となるのは、次の箇所です。ここでフィヒテが例に上げる判断は「Aは赤い」です。

「赤い色に関して、Aは判断に先立ってどのように存在しているであろうか。明らかに無限定である。Aには全ての色が所属しうる、その中で赤色も所属しうる。判断によってはじめて、すなわち繋辞「ある」によって自己の活動を表すところの構想力を介しての判断の綜合的な活動によってはじめて無限定なものが限定される。」(「知識学の特性綱要」SWI, 380. 全集訳4, 415)

では、ある人が「Aは赤い」と判断したが、そのあと「Aは青い」と解ったとしましょう。この時、実在論者は、対象Aの色は、それについての判断とは独立に成立しており、人がそれを「Aは赤い」と判断した時にも、実際には青色であったと考えるでしょう。これに対して、フィヒテは、私たちの判断とは独立に、対象Aが存在したり、色を持ったりするとは考えません。では、フィヒテは、ある人が「Aは赤い」と判断した時には、Aは赤く、その後「Aは青い」と判断した時には、Aは青くなったと考えるのでしょうか。そうではないでしょう。なぜなら、これは明らかにおかしいからです。ある人の判断が変化した時、その人が信じていることは、<彼女が以前には「Aが赤い」と判断したものを、その後「Aは青い」と判断するようになり、そのようにAについての知が変化した>ということです。つまり、フィヒテもまた、AとAについての知を区別するのですが、その区別は知の内部における知です。この場合に存在するのは、知の変化ではなく、知の変化の知なのです。

(話がズレてしまいましたが、ここからフィヒテのスピノザ批判の話に何とかして、戻ってゆきたいと思っています。)

33 「絶対知」はなぜ必要なのか? (20210924)

[カテゴリー:日々是哲学]

フィヒテの「絶対知」は、カントの「統覚」概念のフィヒテなりの継承発展の一つの帰結です。

もし全ての対象が知られることによって私にとって存在するのだとすると、知もまた知られることによって存在します。そうするとこの知もまた存在するには、知られる必要があります。こうしてある知が成立するには、知の知の知の・・・と反復することになります。意識の場合もどうようでえあり、意識の意識の意識の・・・と反復することになります。この反復が終わらなければ、知も意識も成立し得ません。そこでフィヒテは、「意識の意識」と言う時に、「意識される意識」と「意識する意識」が同一であるような意識がなければならないと考え、それを「知的直観」と呼びました。全ての知は存在するためには最終的には知的直観に基づかなければならないのですが、では知的直観が二つあるとき、どうなるでしょうか。一つの知的直観が、他方の知的直観にとって存在するためには、それによって知られる必要があります。ところで、複数の知があるとき、それらの関係が成立しますが、その関係が成立するためには、それが知られる必要があります。このようにしてすべての知の関係が知られていくとき、最終的に知は一つの知に包括されることになります。絶対知というのは、すべての知をこのように包括する知の知です。それは個人の数だけあるのではなく、一つしかありません。

 バークリは、実体を観念の束と考え、「存在するとは知覚されることである」と主張しましたが、サクランボが存在するとは、それが知覚されることであるとしても、サクランボの知覚が存在することは、さらに何らかの仕方で知られる必要があるとは考えませんでした。だから彼のいう観念や知覚は、さらに知られたり意識されたりしなくても、存在しているのです。その点では、机のような実体とおなじ存在の仕方をしています。それゆえに、フィヒテは、バークリを「実在論者」と呼んだのです。

 フィヒテにとって、バークリをもじっていうならば、「存在するとは、知られることである」と言えます。フィヒテの表現ではこうなります。「あらゆる存在が知性の思考によってのみ生じ、それ以外の存在については何も知らないとする」 (「知識学 への 第二序論」GAI-4, 237, SWII, 483)フィヒテは、これが「最も決定的な観念論」であると述べています。

 この「絶対知」の主張の何処に問題があるのかを次に説明します。

33 フィヒテによるカントの「統覚」の展開 (20210922) 

[カテゴリー:日々是哲学]

フィヒテの『知識学の叙述』(1801/02)は、彼が出版を計画し、第一部の14章まではすでに印刷も終わっていたのですが事情により出版されなかったものです(この経緯については、『フィヒテ全集』晢書房、第12巻の「解説」に詳しい説明があります)。前期フィヒテは、「自我」ないし「自己意識」を原理にして知の体系を叙述しようとしていたのですが、『知識学の叙述』(1801/02)からは、「絶対知」を原理にして知の体系を叙述しようとするように変化します。ここから「後期」フィヒテが始まります。この変化の理由をどう説明するかという問題が、フィヒテの「変説問題」と言われるものです。(この前期から後期への変説について詳しくは、拙論 「観念論を徹底するとどうなるか --フィヒテ知識学の変化の理由―」『ディルタイ研究』第18号、日本ディルタイ協会発行、pp.38-54、2013.(https://irieyukio.net/ronbunlist/papers/PAPER33.pdf)をご覧ください。)

 フィヒテは、カント哲学を知って決定論を克服できると考えるようになったと言われています。そのとき、フィヒテにとって重要だったのは、カントの「統覚」の考えです。カントの統覚は、認識の成立において、直観に与えられる多様と悟性のカテゴリーを結合して認識を形成するときには、その二つを結合するものです。すべての表象には、「私が考える」という表象が結合しうるのであり、これによって、表象は私の表象になるというものです。統覚は「私が考える」という表象だと言われることもありますが、「私が考える」という表象と他の表象(直観の多様や知覚や経験的概念など)を結合する能力でもあるだろうと思います。表象が成立するには、表象の表象もまた必要であり、意識が成立するには、意識の意識もまた必要なのです。しかし、単なる反復ではなく、それが自己表象、自己意識であることが必要です。そのとき「私が考える」という表象が発生しているのです。自己意識が成立するには、意識されている意識と、意識している意識が同一であるだけでなく、その同一性の意識が必要です。ちなみに「自己意識(Selbstbewusstsein)」という語は、カントの造語です(「意識(consciousness)」はロックの造語です。西田幾多郎の『善の研究』には「自覚」は登場しますが、「自己意識」の語はありません。おそらく西田は、Selbstbewusstseinを「自覚」と訳していたのだろうとおもいます。それをいつ頃から「自己意識」と訳すようになるのかは、未確認です。関心のある方は調べてみてください。)

 このように意識は自己意識として成立します。前期フィヒテは、これを「事行」(Tathandlung)とか「知的直観」とか「自我性」と呼びました。後期フィヒテは、これを「知の知」とか「絶対知」と呼びます。

 この「絶対知」がどうして必要になるのかは次回に説明します。そこからさらに「絶対的存在」に言及するようになるどうしてなのかは、フィヒテ研究者にとって重大な謎です。これについては、次回に推測を説明します。それからスピノザ批判に向かうことにします。