情熱は社会的に構築される

ローマのコロセウム、情熱の跡です。

urbeさん、コメントありがとうございました。

「情熱が、社会関係の中で生まれる」
と書いたのは、次のような意味でした。
 ある若者が「ゴッホのような画家になりたい」と思ったとします。そのとき、彼のこの情熱は、ゴッホを知ることによって触発されたはずです。また、単に画家になりたいという欲望にしても、画家という職業がある社会でしか、生まれないはずです。
 このような意味で、すべての情熱は、あるいは欲望は、社会の中で生まれるのだとおもいます。それを、今風の言い方をすれば、「情熱は社会的に構築される」ということになるだろうとおもます。

才能と努力

urbeさん、blogを拝見しました。5月に一時帰国されるのを楽しみしています。

 何事かをなすために必要なこと、それは、実も蓋もないことですが、
   才能と努力
です。ある特定の才能は、訓練で伸ばすことが出来るかもしれませんが、それをなすためには、やはり、
   才能と努力
が必要です。そして、才能については、どうしようもないので、我々に出来るのは努力することだけです。例えば、将棋に強くなろうと思えば、我々にできるのは、努力することだけです。
 もちろん、努力の仕方、練習の仕方、の良し悪しはあるでしょう。良い方法を見つけることが必要ですが。それを見つけるために必要なものは、またしても、
   才能と努力
です。では、努力は、何で図ったらよいのでしょうか。重要な指標は、時間と集中力でしょう。
 
 ところで、努力するには、情熱が必要です。
ヘーゲルは、「世界における偉大なことで情熱なしに成し遂げられたことはない」(『歴史哲学』(Hegel Werke Bd.12, S.38)と述べています。一般的にいって、個人の情熱は、彼の社会関係の中で生まれます。つまり、個人が生得的に持つ才能と、社会関係の中で個人の中に発生する情熱が、何かを成し遂げるのでしょう。
  我々の中にどれだけの才能と情熱があるか、それはやって見なければ誰にも解かりません。
  只々努力。