消費税の逆進性への反論への批判

 

                            真夏の夜のキャンパスです
 
消費税には逆進性がないという悪質な議論をネット上に目にしたので、批判したいとおもいます。
 
その反論者も、消費税が、たしかに所得のごく一部しか消費しない人にとっては、税率が低くなっていまうことをみとめます。しかし、もし豊かな人も短期のうちにではなくて、生涯のうちには、その所得を消費に使ってしまうとすれば、同じ消費税率をはらうことになるというのです。
 
この反論には、二つの間違いがあります。
第一に、高額所得者が、その所得を障害のうちに消費してしまうということは、統計的にありえないということです。それは消費性向の値がしめしているとおりです。
第二に、もし長期のうちにかなりの所得を消費してしまうとしましょう。しかし、そのときでも例えば、それが平均20年後であるとすると、20年の間に所得には利子が付きます。それは5%以上のものになるかもしれません。結局、20年後の消費で5%との消費税を支払っても、彼は実質的にはまったく消費税がかかっていないことになります。
 
反論者も、高額所得者が、その生涯のうちに、その殆どの所得を消費してしまうとは、考えてないようです。そのかわりに、相続税に5%をうわのせすればよいのだと言います。しかし、それではまったく不十分です。前に述べたように、所得を得てから相続するまでに、利子がつきます。したがって、これでは、逆進性が解消されるとはいえません。逆進性を完全に解消sるうには、どうするべきでしょうか。(細かな計算方法に確信がもてませんが、例えば)所得を得てから相続するまでに得られる利子も税金とし、その元本に消費税をかけ、その残りに贈与税をかけると言うのならば、消費税の逆進性は、無くなるかもしれません。
 
私の批判は、まだ不十分かもしれませんが、消費税の逆進性を否定しようとする議論は、悪質としかいえません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

消費税の逆進性への反論への批判

 
 
真夏の夜のキャンパスです
 
消費税には逆進性がないという悪質な議論を目にしたので、批判したいとおもいます。
 
その反論者も、消費税が、たしかに所得のごく一部しか消費しない人にとっては、税率が低くなってしまうことを認めます。しかし、もし豊かな人も短期のうちにではなくて、生涯のうちには、その所得を消費に使ってしまうとすれば、同じ消費税率を払うことになるというのです。
 
この反論には、二つの間違いがあります。
第一に、高額所得者が、その所得を生涯のうちに消費してしまうということは、統計的にありえないということです。それは消費性向の値が示しているとおりです。
第二に、もし長期のうちにかなりの所得を消費してしまうとしましょう。しかし、そのときでも例えば、それが平均20年後であるとすると、20年の間に所得には利子が付きます。それは5%以上のものになるかもしれません。結局、20年後の消費で5%との消費税を支払っても、彼は実質的にはまったく消費税がかかっていないことになります。
 
反論者も、高額所得者が、その生涯のうちに、その殆どの所得を消費してしまうとは、考えていないようです。そのかわりに、相続税に5%を上乗せすればよいのだと言います。しかし、前に述べたように、所得を得てから相続するまでに、利子が付きます。したがって、これでは、逆進性が解消されるとはいえません。逆進性を完全に解消するには、どうするべきでしょうか。(細かな計算方法に確信がもてませんが、例えば)所得を得てから相続するまでに得られる利子も税金とし、その元本に消費税をかけ、その残りに贈与税をかけると言うのならば、消費税の逆進性は、無くなるかもしれません。
 
私の批判は、まだ不十分かもしれませんが、消費税の逆進性を否定しようとする議論は、悪質としかいえません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

格差の限界について

貧富の格差は、何処まで容認されるのか?
この問いをつぎのように言い換えてみることができるかもしれません。
相続税率、贈与税率、と所得税率の累進性を何処まで上げるべきか?

さて、この書庫で、所得税の累進税率は、どこまで上げるべきか?
を考えようとして、以前には明確な基準を示せませんでした。
その後、アメリカ発の金融危機が起こりました。我々は、最近の歴史で、日本のバブルの崩壊と、アメリカのバブルの崩壊を経験しました。このようなバブルの崩壊は、社会の存続にとっての深刻な問題となります。
したがって、「このようなバブルの崩壊は、避けるべきだ」といえるとしましょう。

次に、このようなバブルの崩壊は、ある程度の富の偏在を前提しているでしょう。その富の偏在は、所得の累進税率を上げることによって、調整できるのだとしましょう。
そのとき、もし経済学者が、どの程度の累進税の場合に、富の偏在が強くなって、彼らの投資がバブルを生み出す、ということを、理論的経験的に主張できるようになったとすると、そのときには、バブルとその崩壊を繰り返さないために、必要な累進税率、というものが計算できることになります。
もし「我々が二度経験したようなバブルの崩壊を避けるべきだ」と言うのならば、そこから一定の累進税率を算定できるはずです。

累進税率、富の偏在、バブルの発生、この間の関係を実証的に論証してくれる経済研究を待ちたいと思います。現在の累進税率は、すでに低すぎるのではないか、というのが、私の素人予想です。
つまり、現在の累進税率は、現在の財政赤字の原因であるだけでなく、バブルの原因であった可能性もあるということです。

ホネット対スローターダイク

ホネットとスローターダイクが
FAZ(Frankfurter Argemeine Zeitung)とZeitで
で論争しているのを、みつけました。
とりあえず、以下をご覧下さい。
http://www.faz.net/s/Rub5C2BFD49230B472BA96E0B2CF9FAB88C/Doc~E8DF1B2E5D29642DEB6C55CFE501EC71D~ATpl~Ecommon~Scontent.html

論争は、現代社会の理解の違いにありますが、とあえずは、累進課税制度にあるようです。

以前の繰り返しですが、先進国は揃って下げてきた、富裕層の所得税率を2,30年前に戻すべきです。

今後の展開が楽しみです。

累進税率と経済システムの関係

飯野山からみた瀬戸内海です。

前回の続き

②について
機会の均等がないところ行なわれた自由な競争の結果、格差が生まれたときには、その格差は、個人の努力や才能の違いに基づくだけでなく、機会の不平等に基づくものでもある。そこで、その機会の不平等を是正する必要がある。

収入の格差の原因として何が考えられるだろうか。
①機会の不平等
  貧しくて十分な教育が受けられなかった。
  障害や病気のために十分な教育が受けられなかった。
  障害や病気のために、人並みに働くことが出来ない。
②能力の違い:
  語学が得意だ。計算が不得意だ。パソコンが得意だ、
  交渉が不得意だ。
③運:交通事故にあって商談がながれた。
  取引先の人の機嫌がよくて、仕事がうまくいった。
  たまたま沢山自動車が売れた。たまたま株でもうかった。
④選好や生き方の違い:希望する職業の違い。
  将来のために資格をとるよりも、楽しく過ごしたい。
  収入を増やすためにひたすら努力するのがすきだ。
  

以上の整理はとりあえずのものである。もっと適切な整理が出来るかもしれない。

①については、格差の補償が必要である。
②と③については、おそらく賛否両論あるだろう。
④については、格差の補償は必要ないだろう。

では、この①(あるいは、②と③を含めたもの)による格差を補償するために、累進税率は、どの程度にすべきだろうか。

この基準をどのように決めるべきか、正直なところ考えあぐねている。
しかし、次のことはいえるだろう。
<この累進税率の決定は、当の社会の経済のシステムがどの程度大きな格差を生む傾向をもつのか、ということに依存している。>

実は、収入の格差の原因には、上記のものとは異なる別の要因がある。それは、<当の社会の経済の仕組みが、どの程度大きな格差を生み出す傾向をもつか>という要因である。

例えば、今仮に構成員が100人の社会があるとしよう。もし全員が同じ能力で働き、機会の平等も確保されていると仮定すると、つぎのような配分が期待できる経済システムがあるとしょう。

システムAでは、60人が2万円の収入で、30人が3万円の収入で、10人が7万円の収入で、社会全体で280万円の収入である。

システムBでは、60人が1万円の収入で、30人が2万円の収入で、6人が10万円収入で、4人が25万円の収入で、社会全体で280万円の収入である。

システムCでは、20人が0円の稼ぎで、60人が1万円の収入で、17人が4万円の収入で、2人が30万円の収入で、1人が92万円の収入で、社会全体で280万円の収入である。

累進課税の税率についていうと、システムAよりもB、BよりもCにおいてより高くなるべきだと考えるのが、常識的であろう。

(肝心の累進税率の決定基準について、良いアイデアが思い浮かびません。
よいアイデア、あるいはすでにある議論の情報などがありましたら、教えてください。
 ニュースによると、オバマ大統領は、富裕層への増税をするようですので、
先進諸国が30年前の累進税率に戻すことを期待したいと思います。)

資本主義の原理的な自己矛盾

飯山の頂上からの景色です。

しばらくほかの事を考えていたのと、答えを考えあぐねていたので、
発言が久しぶりになってしまいました。

問題は、こうでした。
「どのような累進税率が適切であるか」

我々は累進課税によって、同率課税の前述の欠点を解消しなければならない。
前回述べた事であるが、次の二点を確認しておきたい。

①資本主義社会での経済活動は、自由競争によって行なわれている。自由競争の結果をそのまま受け入れるべきだ、ということが正当性を持つためには、自由競争に入る者たちのスタートラインが同一であること、つまり機会の均等が保証されていなければならない。

②したがって、機会の均等がない社会で行なわれた競争の結果の格差については、機会の不均等を是正するような再分配、つまり累進課税が必要である。その累進税率は、機会の不均等を是正するのに必要なだけということになる。

今回は、この①について、考えてみよう。

資本主義社会において、機会の均等を保証することは不可能であるようにおもわれる。なぜなら、個人の所有権が認められている限り、個人はその所有物を自由に処分することが出来る。したがって、仮に相続税を非常に高くしたり、相続を禁止したりしても、生前に子供に贈与することができるのだから、親の経済格差が、子供の経済格差となる。これを防止するには、全ての子どもを、親から引き離して、社会全体で育てることになる(プラトンの『国家』のように)。これは、家族を解体するということである。このとき子どもは国家(将来的には、世界共和国?)のために生産され、育てられ、教育されることになるだろう。少なくとも、現在のところ、これは悪夢としてしか考えられない。

上のような選択肢を排除するとき、資本主義の下で、子どもの生まれつきの経済格差は、不可避であり、機会の平等は、原理的には実現不可能である。しかし、他方で、資本主義での自由競争は、機会の平等によってのみ、正当化される。そうだとすると、資本主義は、それ自体において、原理的な矛盾を抱えていることになる。

せめてできることは、子育てと教育への公的な支援である。子どもの経済格差をできるだけ小さくすることは、資本主義社会の正当化のために不可欠である。したがって、育児、教育への公的な支援を行なう必要がある。例えば、現代の日本でいれば、中卒と高卒の生涯賃金の格差は、子どもがおかれた機会の不平等によると考えられるので、高校卒業までは無料の義務教育とすることが公正な社会のためには必要なことである。育児、養育、教育への様々な支援、公立学校の充実なども、公正な社会のために重要である。親の経済力と関係なく、全ての子どもが同じように優れた教育を受けられることが理想である。(親の経済的な格差だけでなく、文化的な資産(ハビトゥス?)の格差という問題もあるが、焦点がぼけるので、別の課題としたい。)

累進税率をいくらにすべきか

讃岐富士に登りました。五合目です。

問題「どのような累進税率が適切であるか」

答えるための一つの基準:

所得税率を全ての人に同率にすることに反対する理由を、前回次のように前回書いた。
「各人が経済活動に参加するときの条件が同じならば、そこから得られた所得に対して、上記の意味で平等な負担を求めることで十分であるが、しかし機会の不平等のもとで生まれた所得の格差に対しては、上記の意味での分配は、平等な再分配であるとはいえない。」

同率課税のこの欠点を解消することが累進税率の基準になるだろう。
資本主義社会での経済活動は、自由競争によって行なわれている。自由競争の結果をそのまま受け入れるべきだ、ということが正当性を持つためには、自由競争に入る者たちのスタートラインが同一であること、つまり機会の均等が保証されていなければならない。
したがって、機会の均等がない社会で行なわれた競争の結果の格差については、機会の不均等を是正するような再分配、つまり累進課税が必要である。その累進税率は、機会の不均等を是正するのに必要なだけということになる。

基準を受け入れたときの次の問題
問題「機会の不均等を是正するのに必要な累進税率が、どれだけのものになるのか、をどのようにして決定したらよいだろうか」

これは哲学の問題というより、厚生経済学の問題でしょうか。

所得税の4つの課税方法

正月に讃岐富士に登りました。

所得税の課税方法としては、次の4つが考えられるでしょう。

1、同額を全ての所得のある人間に要求する。
2、同率を全ての所得のある人間に要求する。
3、累進課税を全ての所得のある人間に要求する。
4、同額の収入になるように全ての人間に納税を要求する。

4を主張する理由:限界効用逓減の法則と功利主義を適用すると、全ての国民の可処分所得が同額になるように国民所得を再分配するのが、国民全体の幸福の総量は最大になる。
4に反対する理由:もしこのような制度にすれば、各人の労働意欲は失われ、国民全体の所得は減少し、結果として、国民全体の幸福の総量は、他の分配方法の場合よりも、小さくなる可能性が高い。

1を主張する理由:各人が、同じ金額の税金を納めることが、平等である。
1に反対する理由:低所得者と高額所得者が、同額の税金を納めることは、平等ではない。なぜなら、高額所得者は、税金によって行なわれる、公共政策の恩恵を、低所得者よりもより多く得ているといえるからである。彼が所得を獲得する生産活動も、彼の消費活動も、低所得者よりはより多く、公共財の恩恵を受けているからである。

2を主張する理由:各人が、生産活動や消費活動において、公共財の恩恵を受けるのが、その金額に比例すると考えると、同率の所得税率にすることが、平等な負担を求めることになる。
2に反対する理由:各人が経済活動に参加するときの条件が同じならば、そこから得られた所得に対して、上記の意味で平等な負担を求めることで十分であるが、しかし機会の不平等のもとで生まれた所得の格差に対しては、上記の意味での分配は、平等な再分配であるとはいえない。

以上の理由で、私は、3が正しい選択だろうと思う。そして、現代の多くの社会では、3の税制が取られている。問題は、どのような累進税率が適切であるか、である。

消費税の逆進性について

昨日の山の中です。
凍った寒い坂道を転がり落ちるような経済状態です。

なぜ次の2つが実現しないのでしょうか。
同一賃金同一労働
サービス残業の廃止
これは、基本的な人権の一部だとおもうのですが、憲法違反ではないのでしょうか?
これは、ILOなどの条約に反しないのでしょうか?

さて、消費税率を上げることが話題になっています。
すでに言われていることですが、消費税率は明らかに逆進性をもっています。
それは、次のようなことだろうとおもいます。(もし間違っていればご指摘をお願いします。)

所得の低い人は、ほとんどの収入を消費にまわします。もし消費税率が5%上昇すれば、所得税率が5%以上上昇するのと同じことです。なぜ5%以上かといえれば、所得税は、収入から経費などが控除された残りにかかりますが、消費税では、(収入の全てを消費に回さなければならない人にとっては)そのような控除なしに収入の全てにかかることになりますので、消費税の5%の上昇は、所得税率の5%の上昇よりも、大きな負担になります。他方で、金持ちは、収入の一部を消費費に回すだけです。もし収入の20%を消費に回しているとすると、消費税が5%上昇すれば、ほぼ収入の1%の増税になるだけです。

消費税の導入によって、所得税を払っていない人は(ほとんどを消費にまわすでしょうから)、全く所得控除のない所得税を5%支払うようになったのとおなじことです。所得税を払っている、低所得者は、先ほど見たように、5%以上の増税になっています。それに対して、高額所得者は、消費税が導入されたこの20年ほどの間に、前に見ましたように、所得税率は20%程度低くなっています。

さて、政府は、このような消費税率を5%から10%にしようとしています。これは財政の赤字を、低所得者への増税によって解決しようとする政策です。これは、間違った方向です。我々がすべきことは、高額所得者と法人に対する所得税の見直しだとおもいます。なぜなら、財政赤字の最も大きな原因は、高額所得者と法人への減税だったと思われるからです。

消費税を上げることは、社会の格差を増大させます。社会格差が、これ以上拡大すると、社会統合は新しい形を取らざるを得なくなるでしょう。今回の予算で、治安の維持のためという理由で、警察官が大量に増員されました。格差の拡大による治安の悪化を見越しているということでしょう。
政府は、社会の格差を縮小させるような政策を何も行なっていないのではないでしょうか?

とってつけたみたい、(カットアンドペーストみたい?)ですが、
皆様良い年をお迎えください。

同一労働同一賃金の実現、サービス残業の廃止

少し前の紅葉の信州の山の中です。

忙しくてupできないでいるうちに、経済はますます深刻な状況になってきました。

公平な税制の問題を考えたいのですが、世の中は、そんな事を行っている場合ではないという状況になってきたのかもしれません。しかし、公平な税制の問題が重要な問題であり、緊急の問題である事には違いありません。

ところで、それ以前の自明の課題ですが、
 ・同一労働同一賃金の実現
 ・サービス残業の廃止

この二つの正当性は、ほとんど自明だと思うのですが、それが実現されていません。
この二つへの違反は、基本的な人権を否定するものであり、憲法違反だとすらいえるのではないでしょうか。なぜ、行政はそれを強力に指導しないのでしょうか。