36 フィヒテのスピノザ批判にもどる (20211005)

[カテゴリー:日々是哲学]

前回説明したフィヒテの3つのアイデアは、互いに独立しているのではなく、第一のアイデア「事行」を前提して、そこから第二のアイデア「絶対知」が成立し、この「絶対知」を前提して、第三のアイデア「絶対者」が成立するという関係にあります。私自身は、この3つのアイデアすべてにそれぞれ疑念を持っているのですが、しかし、フィヒテ哲学に可能性があるとすれば、それは、この3つのアイデアを生かしていくことにあるだろうと思っています。

 以上を前置きにして、フィヒテのスピノザ批判を説明したいとおもいます。フィヒテは、スピノザ哲学を唯物論とみなして、それを批判します。前に(31回)に述べたように、フィヒテがそれを批判するのは、スピノザが意志の自由を否定するからでした。スピノザは、個人の意思決定が自由であると考えることを錯覚だとして批判するのですが、しかし実体(神)については、それが「自由原因」であることを認めます(『エチカ』第1部定理17系2)。この証明は、次の定義に基づいています。「自己の本性の必然性のみによって存在し・自己自身のみによって行動に決定されるものは自由であるといわれる」(第1部定義7)。

 スピノザにとっては、「自由」とは、「自己の本性の必然性」にしたがって行動を決定することなのです。このスピノザに影響されたシェリングとヘーゲルもまた、自由を「内的必然性」に従うことと考えました。

 シェリングは『人間的自由の本質』において「行為というものは、英知的存在者の内奥から、ただ、同一性の法則にしたがって、また絶対的な必然性をともなって、のみ、生じてくることができるのであって、このような絶対的必然性のみが、また絶対的自由でもあるのである。」(今本が手元にないのですが、『人間的自由の本質 およびそれと関連する諸対象に関する、哲学的諸研究』1809年(『世界の名著 続9 フィヒテ シェリング』中央公論社)渡辺二郎訳、おそらくp.460)と言います。ちなみに、ここでシェリングは、フィヒテの自由を「選択の自由」とみなし、批判しています。

 ヘーゲルは「自由」を「私が私自身の許にある時、私は自由である」(Werke,12,30)と定義しますが、この定義は、「自己の本性の必然性」に従うというスピノザの定義とほぼ同じです。ヘーゲルは、『小論理学』では「必然性の真理は自由である」とも述べています。ヘーゲルもまた、スピノザやシェリングと同様に「自由=内的必然性」と考えているのです。

 若いころにフランス革命にだったドイツ観念論の哲学者たちにとって、「自由」は非常に重要な概念でした。そして「自由」をどう定義するかは、彼らの哲学において重要な課題となります。シェリングとヘーゲルは、スピノザの影響で、自由=内的必然性ととらえるのです。そして、シェリングもヘーゲルもフィヒテが考えている「選択の自由」に対しては批判的でした。

 このフィヒテ理解は正しいです。たしかにフィヒテは自由を「選択の自由」として考えていました。ただし、フィヒテは、「内的必然性=自由」という自由理解に否定的でした。フィヒテにとっては、「選択の自由」こそが真の自由概念なのです。(私もこれに賛成です。なぜなら、内的必然性=自由という考えには曖昧な部分が残りますし、何が内的必然性であるかを考える時に、自分の価値観を暗黙の裡に挿入しているように思われるからです。実存主義を持ち出すまでもなく、「内的必然性」をそもそも認めない人も多いでしょう。)

 スピノザ(シェリング、ヘーゲル)とフィヒテとの「自由」理解の違いは、「絶対者」の理解の違いと密接にリンクしています。スピノザ(シェリング、ヘーゲル)の絶対者は、個人を含めてすべての個物をその中に含んでいる汎神論的な絶対者です。それゆえに、絶対者は個人の内的必然性もまた含んでいるのです。これに対して、フィヒテの絶対者は、純粋な存在であって、個人はその外部にあります。個人や個物は「絶対知」の内部に成立するものですが、その「絶対知」は「絶対者」の外部にあります。「絶対知」は「絶対者の現象」と呼ばれます。「絶対知」の内容は、知の必然的法則によって決定されるのですが、「絶対知」の存在は、法則によってではなく、また絶対者によってでもなく、自由によって成立します。「絶対知」は必然的法則をもつ「内容」と、自由によって成立する「形式」という二つの契機から成っており、このうちの前者の必然的法則の根拠として「絶対者」が想定されています。他方、知の「形式」である「自由」は、知の必然的法則から独立しているのです。この自由は、必然性を持たない偶然的な決定ないし選択なのです。

 スピノザ、シェリング、ヘーゲルでは、絶対者は汎神論的全体(ヘン・カイ・パーン)であり、それゆえに、絶対者の内的必然性は、個人はそれから独立した選択の自由を持つことは出来ません。これに対して、フィヒテは「ヘン・カイ・パーン」を否定します。フィヒテの枠組みでは、いかなる必然性や法則からも自由な「選択の自由」が可能になります。

 フィヒテが、このような「自由」概念を採用するのは、<存在するとは知られることである>とする「事行」や「自己意識」の理解のためです。彼の徹底した観念論は、スピノザ、シェリング、ヘーゲルの、「自由」理解、「絶対者」理解とは、両立しないのです。

 フィヒテは、晩年の講義「意識の事実」(1810)において、彼の「自由」理解を次のように明確に述べています。

「知そのものは、その内的形式と本質からすると、自由の存在である。[…]人は一見して、自由というのはそれだけで存立する別のなにものかがもつ特性であって、そのものに内属するのだ、と考えたくなるかもしれないが、そうではなくて、自由は独自の自立的存在にほかならないのである。そして、自由のこの自立的で別個の存在こそが知なのである、と言いたい。」(GA II/12, 27f, SW II, 550, 330, 全集19巻、43)

ここでフィヒテは、自由はある存在者の特殊な能力とか特殊な性質ではないといいます。彼の言う自由は、スピノザの「内的必然性」に従うことのような能力や性質ではなく、ある形式で存在することそのもの、あるいは存在形式に他なりません。彼は自由についてのインフレ主義的な解釈を排して、デフレ主義的な解釈を提示していると見ることができます。つまり、自由は、存在内容にかかわるのではなく、存在形式に関わるものなのです。知の存在は、それ自身が知られている必要があります。そのような自己知としての知の存在は、自由という存在のあり方をします。知と自由は、フィヒテにとっては不可分の存在形式なのです。知が存在するためには、知が存在することが知られている必要があり、また行為や知の活動が自由であるためには、活動が自由であることが知られている必要があり、また自由であることを知る活動自身も自由でなければなりません。もし<そのように考えない>ならば、私たちは知や自由とは無関係に成立している存在を、知や自由の<担い手>として認めることになるでしょう。しかし、そのような存在を認めることは、二元論であり、フィヒテが追求している徹底的な観念論とは矛盾するのです。

 (以上で、31回から行ってきた、フィヒテのスピノザ批判の説明を終わります。もう少し詳しい説明は、来年に出版される予定の共著論文集をご覧ください。出版されましたら詳しい情報をお知らせします。)

 では、私たちは、フィヒテの言う「事行」(自己意識)について、また「絶対者」(純粋存在)について、どう考えるべきでしょうか。クワインの存在の言語相対性の主張、中期パトナムの内部実在論は、現在でもある程度の説得力を持つと思うのですが、その場合、世界のありようを説明する理論は、言語相対的であり、言語を超えた世界については、語ることができません。しかし、それが存在すると想定することは可能であり、言語相対的であれ言語を決定すれば、理論は必然的なものとして立ち現れることになります。その理論の必然性を説明するために、理論の背後に純粋存在を想定することは出来そうです。これは現代における一つの有力な存在論の形でしょう。フィヒテが考えていた知識学の枠組みは、この考えに似ているのです。

 ここから先をどう考えるかは、私たちの課題です。

35 フィヒテの3つのアイデア (20211003) 

[カテゴリー:日々是哲学]

前回説明したのは、フィヒテがカントの「統覚」のアイデアを発展させて、彼の「事行」「知的直観」「自己意識」を考えたということです。意識される意識と、意識する意識が同一である自己意識(事行、知的直観)をすべての意識の根底に想定するということです。

 しかし、これには疑念が付きまといます。その疑念の根拠は、「内省」によってそれらについて語るという方法にあります。「事行」や「知的直観」や「自己意識」や「知」といっても非常にあいまいです。フィヒテはそれらを明証なものと考えたかもしれませんが、言語論的転回を経た現代の私たちからすると曖昧過ぎます。知の内容はやはり命題として語られる必要があります。また現代の脳科学の知見と整合的な仕方で「意識」や「自己意識」について説明できなければ、疑念は残ります。ただしこれは私たちにとっての課題です。

 この「事行」がフィヒテ知識学の基礎となる<第一のアイデア>です(ヘンリッヒ『フィヒテの根源的洞察』が、このアイデアの画期性を明確に論じました)。 

 フィヒテ知識学の<第二のアイデア>は、「事行」から<存在するとは知られることである>という「観念論」が帰結し、その主張から、全ての知を包摂する一つの「絶対知」の存在を主張するということです。このような「絶対知」理解については、前(33回)に述べました。

 <第三のアイデア>は、この絶対知の分析から、絶対知の根拠として「絶対者」を想定するというアイデアです。これは後期フィヒテのアイデアです。前期フィヒテは<存在するとは知られることである>と考えて、物自体を否定して、徹底した観念論を考えようとしていたのに、後期フィヒテがなぜ「絶対者」を想定するようになるのかは、フィヒテ解釈にとって大きな問題でした(この変化ともうひとつの変化の説明がいわゆる「変説問題」です。もう一つの変化とは、前期フィヒテは「自我」から出発して、認識と実践を体系的に説明しようとしていたのに対して、後期フィヒテは、「自我」ではなく「絶対知」ないし「知」から出発するようになるという変化です)。

 後期フィヒテの「絶対者」と「物自体」の違いは、次の点にあるだろうとおもいます。「物自体」というのは、表象としての対象の原因です。しかし、例えば対象の知覚の原因として物自体を想定したとして、その物自体も、反省してみれば「物自体」という表象です。そうすると、その表象の原因としてさらに、別の物自体を想定することができます。これはどこまでも反復可能です。物自体だと見なしている対象が、表象に過ぎないことを反省することによって、観念論を維持できますが、しかしそのときその「物自体」という表象の原因としての別の物自体に直面します。これの反復では、観念論は完成しませんし、実在論も完成しません。この間をいつまで揺れ動くことになります。

 これに対して、後期フィヒテは、全ての知を包括する一つの「絶対知」を想定します。すべての存在をこの「絶対知」に還元して観念論を主張します。ただし、私たちが恣意的に対象を構成できるのではありません。諸対象の表象は、「必然性の感情をともなう表象」であり、それは知性の必然的な法則に支配されています。つまり、絶対知の内容は、この必然的な法則によって規定されているのです。フィヒテは、この必然的な法則の根拠として「絶対者」を想定します。絶対者は、個別の対象の表象の原因(物自体)ではなく、知の必然的な法則の原因です。「絶対者」もまた私たちの「表象」ですが、それは他の表象と同じく心の必然的な法則に従っています。この「必然的な法則」の原因は、絶対者ですが、これ最初の絶対者とおなじものであり、別の「絶対者」へとさかのぼっていくことはありません。つまり、「物自体」は自我による物の表象の原因ですが、絶対者は、知の必然的な法則の原因である(それゆえに、無限にさかのぼらない)という違いがあります。(これが現在のところの私の理解です。)

 このようにフィヒテの「絶対者」を説明してようやく、フィヒテのスピノザ批判について語ることができます。

34 フィヒテの反実在論 (20210930) 

[カテゴリー:日々是哲学]

(フィヒテとスピノザに関する論文とある本の査読がようやく終わりました。あと、科研の申請書が残っていますが、それも峠を越えましたので、これから元のペースでかきこみできるだろうと思います。)

 前回次のように述べました。

フィヒテは、カントの「統覚」の概念に触発されて、<存在することは、知られることである>と考えました(フィヒテの表現では、例えば「あらゆる存在が知性の思考によってのみ生じ、それ以外の存在については何も知らないとする」となります)。ここから、知の存在もまたさらに知られていることになります。また知と知の関係も、関係が存在するためには、知られている必要があります。これらを反復すると、全ての知を包括する一つの知(絶対知)に行き着きます。

  この論証の難点は、<存在することは、知られることである>という出発点にあります。フィヒテは、カントの「統覚」の概念から、このことに思い至ったのだろうと思われます。しかし、カントは、フィヒテのようには考えませんでした。カントは次のように言うだけです。「あらゆる表象に、「私が考える」が伴い得るのではなければならない」。

 これは、あらゆる表象について、もし「あなたはそれを考えていますか?」と問われたら、「はい、私はそれを考えています」と答えることになる、という意味だと思います。例えば、私の部屋の中にあるすべて物について、私はそれが存在すると考えているのではありません。わたしが、そう考えていないときにも、部屋の中のものはありますし、その部屋の中にはないと考えていたものすら、見つかることがあります。

 フィヒテは、このような反論にどう答えるでしょうか。おそらくダメットの反実在論のような答え方をするでしょう。例えば、部屋の中にはないと思っていた昔の爪切りが出てきたとしましょう。このとき、爪切りを発見した時、爪切りは知られることによって、存在していると言えるのですが、普通は、爪切りを発見する前も爪切りは部屋の中に存在していたと考えるでしょう。つまり、「爪切りは私の部屋の中に存在するかしないかのどちらかである」(二値原理)が正しいと考えます。「爪切りが発見されたのだから、発見していなかった時にも、爪切りは存在したのだ」と考えます。古典論理の二値原理は、物の存在がそれの表象から独立しているという実在論とこのように結合しています。それに対して古典論理の二値原理をとらず、直観主義論理を採用するときには、物が存在するかしないか、を知らないときには、「その物は存在するかしないかのどちらかである」という二値原理は妥当しないと考えます。つまり、爪切りを発見する前には、爪切りはあるともないとも言えません。これは「爪切りがあるかないか分からない」ということではありません。「爪切りが有るか無いか決まっていない」ということです。

 つまり、反実在論の立場で、<存在することは、知られることである>と主張るときには、<知られていないものは、存在しない>ということではなく、<知られていないものは、あるかないか、決まっていない>と主張することになるだろうと思います。反実在論の立場では、「ある対象xが存在しない」と語るためには、「ある対象xが存在しない」ということが知られている必要があります。

 フィヒテがこのように考えていることの証拠となるのは、次の箇所です。ここでフィヒテが例に上げる判断は「Aは赤い」です。

「赤い色に関して、Aは判断に先立ってどのように存在しているであろうか。明らかに無限定である。Aには全ての色が所属しうる、その中で赤色も所属しうる。判断によってはじめて、すなわち繋辞「ある」によって自己の活動を表すところの構想力を介しての判断の綜合的な活動によってはじめて無限定なものが限定される。」(「知識学の特性綱要」SWI, 380. 全集訳4, 415)

では、ある人が「Aは赤い」と判断したが、そのあと「Aは青い」と解ったとしましょう。この時、実在論者は、対象Aの色は、それについての判断とは独立に成立しており、人がそれを「Aは赤い」と判断した時にも、実際には青色であったと考えるでしょう。これに対して、フィヒテは、私たちの判断とは独立に、対象Aが存在したり、色を持ったりするとは考えません。では、フィヒテは、ある人が「Aは赤い」と判断した時には、Aは赤く、その後「Aは青い」と判断した時には、Aは青くなったと考えるのでしょうか。そうではないでしょう。なぜなら、これは明らかにおかしいからです。ある人の判断が変化した時、その人が信じていることは、<彼女が以前には「Aが赤い」と判断したものを、その後「Aは青い」と判断するようになり、そのようにAについての知が変化した>ということです。つまり、フィヒテもまた、AとAについての知を区別するのですが、その区別は知の内部における知です。この場合に存在するのは、知の変化ではなく、知の変化の知なのです。

(話がズレてしまいましたが、ここからフィヒテのスピノザ批判の話に何とかして、戻ってゆきたいと思っています。)

33 「絶対知」はなぜ必要なのか? (20210924)

[カテゴリー:日々是哲学]

フィヒテの「絶対知」は、カントの「統覚」概念のフィヒテなりの継承発展の一つの帰結です。

もし全ての対象が知られることによって私にとって存在するのだとすると、知もまた知られることによって存在します。そうするとこの知もまた存在するには、知られる必要があります。こうしてある知が成立するには、知の知の知の・・・と反復することになります。意識の場合もどうようでえあり、意識の意識の意識の・・・と反復することになります。この反復が終わらなければ、知も意識も成立し得ません。そこでフィヒテは、「意識の意識」と言う時に、「意識される意識」と「意識する意識」が同一であるような意識がなければならないと考え、それを「知的直観」と呼びました。全ての知は存在するためには最終的には知的直観に基づかなければならないのですが、では知的直観が二つあるとき、どうなるでしょうか。一つの知的直観が、他方の知的直観にとって存在するためには、それによって知られる必要があります。ところで、複数の知があるとき、それらの関係が成立しますが、その関係が成立するためには、それが知られる必要があります。このようにしてすべての知の関係が知られていくとき、最終的に知は一つの知に包括されることになります。絶対知というのは、すべての知をこのように包括する知の知です。それは個人の数だけあるのではなく、一つしかありません。

 バークリは、実体を観念の束と考え、「存在するとは知覚されることである」と主張しましたが、サクランボが存在するとは、それが知覚されることであるとしても、サクランボの知覚が存在することは、さらに何らかの仕方で知られる必要があるとは考えませんでした。だから彼のいう観念や知覚は、さらに知られたり意識されたりしなくても、存在しているのです。その点では、机のような実体とおなじ存在の仕方をしています。それゆえに、フィヒテは、バークリを「実在論者」と呼んだのです。

 フィヒテにとって、バークリをもじっていうならば、「存在するとは、知られることである」と言えます。フィヒテの表現ではこうなります。「あらゆる存在が知性の思考によってのみ生じ、それ以外の存在については何も知らないとする」 (「知識学 への 第二序論」GAI-4, 237, SWII, 483)フィヒテは、これが「最も決定的な観念論」であると述べています。

 この「絶対知」の主張の何処に問題があるのかを次に説明します。

33 フィヒテによるカントの「統覚」の展開 (20210922) 

[カテゴリー:日々是哲学]

フィヒテの『知識学の叙述』(1801/02)は、彼が出版を計画し、第一部の14章まではすでに印刷も終わっていたのですが事情により出版されなかったものです(この経緯については、『フィヒテ全集』晢書房、第12巻の「解説」に詳しい説明があります)。前期フィヒテは、「自我」ないし「自己意識」を原理にして知の体系を叙述しようとしていたのですが、『知識学の叙述』(1801/02)からは、「絶対知」を原理にして知の体系を叙述しようとするように変化します。ここから「後期」フィヒテが始まります。この変化の理由をどう説明するかという問題が、フィヒテの「変説問題」と言われるものです。(この前期から後期への変説について詳しくは、拙論 「観念論を徹底するとどうなるか --フィヒテ知識学の変化の理由―」『ディルタイ研究』第18号、日本ディルタイ協会発行、pp.38-54、2013.(https://irieyukio.net/ronbunlist/papers/PAPER33.pdf)をご覧ください。)

 フィヒテは、カント哲学を知って決定論を克服できると考えるようになったと言われています。そのとき、フィヒテにとって重要だったのは、カントの「統覚」の考えです。カントの統覚は、認識の成立において、直観に与えられる多様と悟性のカテゴリーを結合して認識を形成するときには、その二つを結合するものです。すべての表象には、「私が考える」という表象が結合しうるのであり、これによって、表象は私の表象になるというものです。統覚は「私が考える」という表象だと言われることもありますが、「私が考える」という表象と他の表象(直観の多様や知覚や経験的概念など)を結合する能力でもあるだろうと思います。表象が成立するには、表象の表象もまた必要であり、意識が成立するには、意識の意識もまた必要なのです。しかし、単なる反復ではなく、それが自己表象、自己意識であることが必要です。そのとき「私が考える」という表象が発生しているのです。自己意識が成立するには、意識されている意識と、意識している意識が同一であるだけでなく、その同一性の意識が必要です。ちなみに「自己意識(Selbstbewusstsein)」という語は、カントの造語です(「意識(consciousness)」はロックの造語です。西田幾多郎の『善の研究』には「自覚」は登場しますが、「自己意識」の語はありません。おそらく西田は、Selbstbewusstseinを「自覚」と訳していたのだろうとおもいます。それをいつ頃から「自己意識」と訳すようになるのかは、未確認です。関心のある方は調べてみてください。)

 このように意識は自己意識として成立します。前期フィヒテは、これを「事行」(Tathandlung)とか「知的直観」とか「自我性」と呼びました。後期フィヒテは、これを「知の知」とか「絶対知」と呼びます。

 この「絶対知」がどうして必要になるのかは次回に説明します。そこからさらに「絶対的存在」に言及するようになるどうしてなのかは、フィヒテ研究者にとって重大な謎です。これについては、次回に推測を説明します。それからスピノザ批判に向かうことにします。

32 唯物論と観念論の共約不可能性 (20210920)

[カテゴリー:日々是哲学]

 フィヒテは、スピノザ哲学を唯物論の哲学とみなして批判するのですが、しかし前期(1793年から1800年、これはフィヒテがイエナにいた時期に相当します)には、観念論と唯物論の対立は深刻であり論争不可能であると考えています。

「これらの二つの体系はいずれも相手を直接に論駁することはできない。というのも、両者の争いは、それ以上は他から導出することのできない第一原理についての争いだからである。両者はいずれも、自分の原理だけを承認するときに、相手の原理を論駁する。いずれも相手のすべてを否定し、両者は、相互に理解しあい、相互に一致しうるようなどんな点をも共有しない。たとえある命題の語句について両者の意見が一致したように見えたとしても、両者は同じ語句を違った意味で受け取っているのである。」(GA I/4, 191, SW I, 429f. 日本語全集7巻、373)

これはクーンの言うパラダイムの共約不可能性の説明とそっくりではないでしょうか。パラダイムの共約不可能性は、通常は言明の共約不可能性として考えられているかもしれませんが、根本的には問いの共約不可能性です。何故なら、言明は問いに対する答えとして成立するからです(もちろんこれは、私の意見でフィヒテの意見ではありません)。では問いが共約不可能であるにもかかわらずそれが対立したり競合したりするのはなぜでしょうか。それはそれらの問いがより上位の問いを共有しているからです。共約不可能な二つの問いの直近の上位の問いがまた共約不可能であるとしても、上位の問いをさかのぼっていけば共通の問いに行き着くとおもいます。自然科学の場合には、最上位の問いは「自然はどうなっているのか?」という問いであり、それに答えるために様々な下位の問いが立てられるのであり、それを下っていくとき、すべての科学的な問いは、そのどこかに登場するはずです(このアイデアをさらに詳細に論じることは、いずれ別のカテゴリーで行いたいとおもいます)。

 では、唯物論と観念論の対立は共通の上位の問いを持つのでしょうか。これらが対立・競合している限りは、共通の問いがあるはずです。しかし、この対立は自然哲学ないでの対立ではなく、哲学対立です。哲学の最上位の問いとは何でしょうか。この答えは、哲学によって異なります。

例えば、唯物論では「物自体とは何か?」であるかもしれませんし、観念論では「知性とは何か?」であるかもしれません。もしそうだとすると、この二つの哲学はなぜ競合するのでしょうか。それは、唯物論の最上位の問い「物自体とは何か?」に答えるために下位の問いを立て、それを下っていくなかに「知性とは何か?」が登場し、それと観念論の「知性とは何か?」の問いの意味が異なるからです。そもそも「知性」で指示しているものが異なるだろうと思われます。逆に、観念論の最上位の問い「知性とは何か?」に答えるために下位の問いを立て、それを下っていくなかに「物自体とは何か?」が登場し、それと唯物論の「物自体とは何か?」の問いの意味が異なるからです。 

 では、どうしたらよいのでしょうか。フィヒテは、この違いは、唯物論者と観念論者の「関心」の違いであると考えています。

「観念論者と独断論者の相違を生む究極的な根拠は、彼らの関心の相違なのである」(GA , SW I, 433, 全集七巻、三七六)

「人がどのような哲学を選ぶかは、彼がどのような人間であるかにかかっている」(GA , SW I, 434, 全集七巻、三七八)

前期フィヒテは、唯物論と観念論の共約不可能性の前で立ち止まるしかありませんでしたが、後期フィヒテになると少し変わってきます。

31 フィヒテのスピノザ批判 (20210918)

[カテゴリー:日々是哲学]

唐突ですが、9月末までに、「フィヒテのスピノザ批判」についての論文を仕上げなければなりません。それと並行して別のことを考える時間がないので、しばらくフィヒテについて書くことにします。

フィヒテにとって、スピノザは生涯にわたる最大の論敵でした。もちろんスピノザ(1632-1677)とフィヒテ(1762-1814)の間には100年以上の隔たりがあります。フィヒテがスピノザを論敵と考えたのは、彼がスピノザを唯物論者だと考えたためです。フィヒテにとっては、唯物論(彼にとっては「実在論」も「独断論」も「唯物論」と同じ意味でした)は、物自体だけが存在するという主張であり、意識もまたその物自体によって説明されるものです。現代哲学では、自然主義者の立場になると思います。フィヒテがこの唯物論を批判するのは、それが自由を否定するからです。彼にとって自由は何よりも重要なものでした。脳研究やAI研究が進んでいる現代においても人間の自由は、脅かされています。フィヒテの時代に、スピノザを読んで自由の危機を感じたのは、一部の知識人だけだったでしょうが、現代では、ほとんどの人が、自由の危機を感じているのではないでしょうか。その意味では、フィヒテが、スピノザをどう批判し、自由を擁護したのかを確認することは興味深いことではないでしょうか。

(ただし、フィヒテのスピノザ理解が正しかったのかどうか、つまりスピノザの全体像が、フィヒテが考えていたような唯物論者であったのかどうかについては、反論の方が多いかもしれません。しかし、スピノザが意志の自由を認めていなかったことは事実だとおもいますので、フィヒテがスピノザを最大の論敵とみなしたことは、スピノザに対する誤解ではないと思います。)

 次回から、フィヒテのスピノザ批判を説明します。

38 「論理的語彙による事実の明示化」の問題に戻る (20210915)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

論理学・数学の言明の「無意味性」理解(カルナップ)と、「実在性」理解(クワイン)の対立について、考察すると予告しましたが、思ったよりも簡単に結論がでました。それは次の通りです。

<問答関係を分析的と綜合的に分けるとき、綜合的問答関係は事実に関わりますが、他方分析的問答関係は、事実には関わりません。その意味で、分析的問答関係は「無内容」だと言えます。しかし分析的問答関係の答えが「無内容」であるということにはなりません。なぜなら、分析的問答関係にある問いの理解と問いの前提の是認が、クワインの言う意味で事実的要素を含んでいるからです。その意味で、分析的問答関係の答えは、「実在性」をもちます。>

結論が出たので、31回で提起した「論理的語彙による事実の明示化」というテーマに戻ります。

疑問表現と論理的語彙は、その保存拡大性により、その他の表現の意味の明示化に役立つのですが、他方で、事実の明示化にも役立つだろうと推測しました。

31回で、次のように述べました。

「前回(30回)私は、<p┣pという同一律は、pの命題内容に関係なく成立することから、同一律がpの意味の明示化には役立たないと考えるのではなく、同一律はpの意味を作り上げているのであり、その意味でpの意味を明示化している>、と見なすことを提案しました。

これと同じように、<p┣pという同一律は、世界の状態にかかわらず、つねに成り立つことから、同一律が、事実の明示化には役立たないと考えるのではなく、同一律がpという事実を作り上げているのであり、その意味でpの事実を明示化している>、と考えることができます。たしかに、トートロジーの命題は、ある事実を他の事実から区別する事には役立ちません。しかし、それは事実についての基本的な性質、ないし事実の存在の仕方を明示化していると考えることも出来るのではないでしょうか。

 以下の考察のために、この二つの理解に、トートロジーについての「無内容性」理解と、「有意味性」理解という名前を付けることにします。

 次回から、このどちらが正しいのかを、考えたいとおもいます。」

 論理学・数学の「有意味性」理解をその後「実在性」理解に改めましたが、この考察の結論が、冒頭に記した結論になります。この結論を踏まえて、上記の引用の問題提起を考えたいと思います。

37 クワインへの応答 (20210913)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

 次の二段階で、クワインに応答したいとおもいます。

 まず、論理学や数学の問いの場合、それを理解し、その問いの前提を是認するとき、意味論的規則の理解と是認が含まれていると思われます。この意味論的規則とその是認が、事実的要素に基づくとしても、それを前提した上で、この問いに答える時に、この意味論的規則だけを用いて答えを導出できるとすると、この問答関係は、分析的です。

 次に、クワインが言うように、「言語一般について、意味論的規則とは何か?」とか「特定言語Lの意味論的規則は何か?」という問いに答えることができないとしても、論理学数学の問いに答える時には、暗黙的に想定した「意味論的規則」に従っています。そしてこの意味論的規則の理解と是認は、問いの理解と問いの前提の是認に含まれています。したがって、私たちが意味論的規則を明示的に示すことができなくても、その問答は分析的なのです。

#理論的な問答の二重問答関係の場合

ここで、分析・綜合の区別が二重問答関係においてどうなるのかを説明しておきたいとおもいます。

  <Q2→Q1→A1→A2>

という二重問答関係(Q2に答えるために、Q1を立てその答えA1を前提として、Q2の答えA2を導出するという関係)があるとします。この場合、Q1とA1がアプリオリで分析的な問答関係であるとします。ここで、Q1の理解とその前提の是認に意味論的規則の理解と是認が含まれており、それらがクワインの言うように事実的要素を持っているとすると、それらを前提に含むQ2とA2の問答関係は、アプリリオリで分析的なものではありえないと思われるかもしれません。しかし、Q1とA1の問答関係で使用される意味論的規則が、Q2とA2の問答関係で使用される意味論的規則に含まれているのであれば、それはQ1の理解とその前提の是認に含まれることになるので、それらの意味論的規則の事実的要素は、Q2とA2の問答関係において前提されており、そのことを考慮する必要はありません。つまり、Q2とA2はこの場合でも、アプリオリで分析的です。

 もしQ2とA2の問答関係の意味論的規則が、Q1とA1の問答関係の意味論的規則を含んでいないならば、その場合には、Q2とA2の問答関係は事実的要素に基づくことになり、綜合的なものとなります。

 以上によって、クワインの批判に応えて、言明ではなく問答関係の性質として考えるならば、分析/綜合の区別が可能であることを示せたと考えます。

 以上の議論を踏まえて、前述の対立、つまり論理学・数学の言明の「無意味性」理解(カルナップ)と、「実在性」理解(クワイン)の対立について、考察したいと思います。

36 クワインへの応答に向けて (20210911)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

クワインが、分析綜合の区別を批判するときの最も強力な論点は、「分析的に真である」を「Lの意味論的規則によって真」と定義することへの批判であると思います。

「ある言明がL0において分析的であるのは、それが、具体的に列挙されたこれこれの意味論的規則によって真であるとき、かつ、その時に限られる」ということはできます。しかし、この「意味論的規則」を定義しなければ、「分析的」の定義にはなりません。

 クワインは、意味論的規則をどう定義するかは、論理学で公準(公理)をどう定義するかの問題と似ており、この問題に答える基準は無いと考えます。一群の式を公準として選択して、それに選択した推論規則と組み合わせて、そこから他の式を導出するためのものが、「公準」です。このとき、「言明(多分、真である方がよいが)の有限の(あるいは、実効的に特定可能な無限の)選択はどれでも、公準の一つの集合として他の選択に劣るものではない。「公準」という語は、何らかの探求の行為と相対的にのみ意義を持つ。」(クワイン「経験主義の二つのドグマ」(クワイン著『論理的観点から』飯田隆訳、勁草書房、所収)53)「意味論的規則の概念も、同様に相対的な仕方で考えられるならば、公準の概念と同程度に、道理にかない有意味である。」(同訳、53) 「だが、この観点からは、Lの真理のある部分クラスを取り出す仕方のあるものが、それ自体として、他の仕方よりも意味論的規則としてふさわしいわけではない。」(同訳54)

クワインによれば、「ある言語の意味論的規則は何か?」という問いに対する一般的な形式的答えというものは見つけられません。それゆえに、この問いを限定して、「言語Lの意味論的規則は何か?」という問いに換え、それに対して「言語Lの意味論的規則は、…である」という仕方で答えるしかないのです。しかもこの時の答え方には幾通りもあるのです。つまり言語一般に関しても、また特定言語Lに限ったとしても、「意味論的規則」を定義できないのです、したがって「分析的」を定義できないのです。

私は、「言語一般についてのその意味論的規則とは何か?」とか「言語Lの意味論的規則は何か?」という問いに答えることができないということには同意します。従って、クワインが言う意味での「分析的に真」の定義ができないことには同意します。しかし、それらの問いに答えられなくても、ある種の問いには、意味論的規則だけによって、答えており、他の種の問いには、意味的規則だけで答えているのではなく、知覚や記憶や伝聞などにも基づいて答えているのですが、そのときでも意味論的規則に従っている、というように問答関係を分析的なものと綜合的なものに区別できると考えます。

言明ではなく、問答を単位とすることによって、言語的要素と事実的要素を分けられることを論証しなければなりません。