[カテゴリー:平和のために]
最近、「分断」という言葉がよく使われます。世界にも日本にも分断が広がっています。
ウクライナとロシアの戦争、イスラエルとパレスチナの戦い、イスラエルとイランの戦争、EUにおける極右の台頭、アメリカのトランプ旋風、これらの「分断」をどうとらえ、どう克服したらよいのでしょうか。この今日のコミュニケーションの困難は、冷戦時代のコミュニケーションの困難とは、少し違っているように思います。それを少しづつ考えたいと思います。
まず、次のA1とA2、B1とB2を基本的事実として、押さえておきたいと思います。
A1:全面的懐疑主義の不可能性
懐疑は、問いによって成立するが、問いは前提を必要とするから、すべてを同時に問うことは出来ない。
A2:社会の全面的な分断は不可能である(社会は底割れしない)。
社会が分断されるためには、意見の対立が必要である。そして、意見の対立は、問いの共有を前提とする。それゆえに、社会の全面的な分断は不可能である。
*社会が底割れしないのは、対立する限りは問答の共有があるからである。
規範の対立があるとき、そこには問いの共有がある。問いの対立であれ、答えの対立であれ、事実の対立であれ、規範の対立であれ、対立があるところには、問いの共有がある。対立があるということは、議論が始まっているということである。
これと対立する次の主張も可能である。
B1:規則遵守問題の解決不可能性
語の使用規則を遵守していることの「完全な」正当化は不可能である。
B2:完全な相互承認の不可能性
このB1とB2について、次に説明します。