84 概念的実在論と問答 (20230221)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

前回述べたように、「概念的実在論」とは、「客観的事実と性質が、それ自体、概念的形式の中にある」(ST3)、言い換えると、「実質的な両立不可能性と帰結の関係にある」(ST 54)という主張です。

客観的事実や性質について、例えば「これはXである」と言えば、「これはXではない」とは両立不可能ですし、「Xであること」と「Xでないこと」の区別が前提されているし、その区別ができることが前提されています。したがって、客観的事実や性質について何からの記述ができる限りで、<客観的事実や性質は、他の事実や性質に対して、両立不可能性や帰結の関係にある>と言えるでしょう。

問題は、客観的事実や性質についての両立不可能性や帰結の記述がどういう意味で<客観性>を持っているのか、ということです。

例えば「これはリンゴであり、これはナシではない」「これはリンゴであり、したがってこれは食べられる」などの記述がどのような客観性を持っているのかです。それを実際に食べてみて食べれることを確認し、その味がリンゴの味であってナシの味ではないことを確認することで、これらの記述の客観的正しさを確認することができます。

ではこれらの記述が、<客観的事実や性質>の記述であるとは、どういうことでしょうか。それは、「その事実や性質を確認する人がいなくても、つまりそのリンゴを見る人や、そのリンゴを食べる人がいなくても、それらの記述は成り立つだろう」ということです。別の例でいえば、「ニュートンが生まれなくても、また人類が生まれなくても、万有引力の法則は成立していただろう」ということです。このように、客観的事実については、様相概念(可能、必然、など)を用いて語る必要があります。

概念実在論は、客観的事実についての真理様相語彙をもちいた記述の正しさを主張することです。

(念のために言えば、「」は文や命題を表現し、<>は単なる強調を表現しています。)

 

 先ほど、「それを実際に食べてみて食べれることを確認し、その味がリンゴの味であってナシの味ではないことを確認することで、これらの記述の客観的正しさを確認することができます」と述べました。この確認作業において、私たちは次のような問答を行っていると思います。

「これはリンゴだろうか」「これはリンゴだ」。

 「これはナシだろうか」「これはナシではない」

 「これは食べられるだろうか」「これは食べられる」

このような問答なしに、この確認作業を行うということは不可能でしょう。

では、概念実在論において、疑問の語彙や疑問文の文型は、真理様相語彙と同様に必須なものでしょうか。また問答関係や問答推論の論理的関係は、どのように位置づけられるでしょうか。

 これを検討したいと思います。

55 問うことを予測誤差最小化メカニズムで説明する (20221209)

[カテゴリー:人はなぜ問うのか?]

#問うことを予測誤差最小化メカニズムで説明するなら、次のようになるでしょう。

<問いも、知覚や行為と同様の予測誤差最小化メカニズムによって成立する>という可能性をここで考えたいと思います。まず思いつくのはつぎのような説明です。

<問いを予測し、その問いを原因/根拠として、その答えの候補としていくつかの命題を推論します。それらの答えの候補がどれも、感覚刺激や知覚などによって正当化されれば、それが問いの答えとなり同時に問いは適切なものと見なされます。もしどれも正当化されないとき、問いは不適切なものとして修正されます。>このような問いの予測と結果による問いの修正、これが問いに対する予測誤差最小化メカニズムだと言えそうです。

ところで、知覚や行為の場合には、直接には与えられない対象や行為を、それから帰結していると思われる現実の感覚刺激をもとに推論し、その対象や行為をもとに感覚刺激を予測して、それを現実の感覚刺激と比較します。それに対して、問いはすでに言語化されたものとして与えられているように思われます。この差異を埋めるために、上記のメカニズムを、いまだ明示化されていない<適切な問い>についての予測誤差最小化メカニズムとして捉えたいとおもいます。

#問いの前提の予測:問題設定の反証主義

問いが成立するには、問いの前提が成立する必要があり、問いの前提が成立するには、それを答えとする別の問いが成立する必要があり、そのためには、その別の前提が成立する必要があり、…というように、どこまでもさかのぼる必要が生じるように見えます。これでは最初の問いの成立が説明できません。

では、最初の問いはどのように成立するのでしょうか。最初の問いの前提は、主張として成立するのではなく、成立していると予測されるのです。予測誤差最小化システムの、最初の主観的事前確率のように、最初の問いの前提は主観的に想定されます。つまり、最初の問いの前提は客観的に成立していなくてもよいのです。なぜなら、それが成立しているかどうかは、問いの答えを求める中でチェックされ、答えが見つからなければ、問いの前提を修正し、問いを修正すればよいからです。これを、ポッパーの反証主義にならって「問題設定の反証主義」と呼びたいとおもいます。問いの前提が予測された仮説であるとすると、そのとき問いもまた予測された仮説です。

冒頭にあげた課題、<問いも、知覚や行為と同様の予測誤差最小化メカニズムによって成立する>ことを説明するという課題ですが、適切な問いも、対象や行為と同様に直接に与えられていないという意味では、これらは「同様に」予測誤差最小化メカニズムとして説明できそうです。しかし、問いは言語的であり、その点で知覚や行為とは、異なる点があります。

そこで次に、<言語的な探求(問うこと)>と<非言語的な探求>と<見かけ上の探求>の区別を予測誤差最初化メカニズムの観点から考察したいと思います。