61 共同注意を促すための発声から言葉が誕生した (20230111)

[カテゴリー:人はなぜ問うのか?]

(これまで「予測誤差最小化メカニズム」について語るとき、「予測」の使い方があいまいで、K・フリストンの使い方と違っていたようですので、訂正し、明確にしておきたいと思います。予測誤差最小化メカニズムでは、モデルを「仮定」ないし「想定」し、そのモデルから感覚刺激を推論によって「予測」します。その「予測した」感覚刺激と現実を比較して誤差があれば、「仮定」ないし「想定」していたモデルを修正し、その修正したモデルから生じる感覚刺激を推論によって「予測」し、それを現実の感覚刺激と比較するということを繰り返すします。つまり「予測」とは、モデルを前提としてそれから何が帰結するかを推論(能動的推論)すること、あるいはその推論の結論です。)

前回の課題「言語が発生するときの最初の共有問答は、どのような内容になるのでしょうか」について考えたいと思います。まずは、個人の発達史における最初の共有問答について。

子供が初語を使うとき、それが子供の最初の問答です。子供の「初語」について、つぎのような調査がありました。「子どもの「初語」はいつ?初めての言葉にまつわるエピソード」(https://iko-yo.net/articles/1770)によると

ちなみに初語発生の年齢は、

とのことです。

幼児の初語は、食べ物を指す名詞(「まんま」)、あるいは最も重要な大人を指す名詞(「ママ」「パパ」のようです。これ以外の名詞も初語になりますし、名詞以外のものが初語になることもあります(私の子供の初語は、箸が転がって食卓から落ちた時に発した「落ちた」でした)。これらの単語の発話は、一語文の発話だと考えられます。「まんまが欲しい」「これはまんまだ」「マンがある」「これはまんまですか」などの意味に理解できます。「ママ、見て」「ママ、来て」「あなたはママです」「あなたはママですか」などの意味に理解できます。「落ちた」の場合には、「箸が落ちたよ。見て」というような意味だったと思います。一語文でも、イントネーションで疑問の発話にすることができますが、疑問の発話でなくても、それが近くの大人の反応を期待して発話されていると考えられます。それは、その反応がどのようなものであれ、反応を期待した発話は、暗黙的に問いかけの意味を持っていると考えられます。どのような発話とそれに対すする反応も、問答として暗黙的には問答になっていると考えられます。

アダムソンは初語について次のように言います。

「生後10~13ヶ月のあいだに、ほとんどの子どもは慣習的な語を喃語と原始語に混ぜ始める。一つには、大人がしばしば「ダダ」とか「ママ」のような子どもの発明を大人自身の語彙に同化してしまうので、正確にいつ子どもが初語を言ったかにぴったりと照準を合わせるのはしばしば困難である。このようなことばに惑わされるのを避けるため、たいてい初語は見過ごし、10語の産出語彙が安定した指標として選択されている。子どもは大抵この発達指標に13~19か月のあいだに到達する。」(ローレン・B・アダムソン著『乳児のコミュニケーション発達』(大藪秦・田中みどり訳、川島書店、212)

「要約すると、子どもの初語はコミュニケーションの慣習化に向けて重要な一歩を印す。10語の産出語彙を蓄えるまでには、子どもは典型的には語の象徴的自律性への洞察も得る。この洞察により、異なるコミュニケーションのコンテクストで語を柔軟に用いることが出来るようになる。」(同訳、216)

人類史における言語の誕生における初語も、食べ物を指す名詞、知覚の重要な他者を指す名詞、などが初語である可能性が高いと思われます。そこでも、それらは、暗黙的な問いであると推測します。

食べ物を表示する言葉は、食べ物への共同注意を促すための発声から成立したかもしれません。トマセロが言うように共同注意が、9か月ごろに成立し、アダムソンいうように初語が、13カ月~19カ月ごろに成立するのだとすると、<共同注意を促すための発声から言葉が誕生した>可能性が高いでしょう。初語が成立し、暗黙的な問答が成立し、暗黙的な共有知が成立するのだろうと推測します。

言語は(あるいは問答は)、共有知をモデルとして仮定し、予測誤差最小化メカニズムによって成立するとして、それには共同注意の成立が先行していると推測します。では、共同注意はどのようにして成立するのでしょうか。その成立は、意識の成立と同時なのでしょうか。推測の域を出ないのですが、次にこれらについて考えたいと思います。

60 共有問答と共有知について (20230108)

[カテゴリー:人はなぜ問うのか?]

2023年、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

今年こそ、意識と言語の発生メカニズムが明らかになることを願います。

私は、言語の発生は問答の発生である、と推測します。では、問答はどのように発生するのでしょうか。人はなぜ問うのでしょうか。以下は、私の現在の単なる予測であって、証明できているものではありません。

<知は、個人の知であれ、共有知であれ、相関質問への答えとして成立する、つまり問答として成立すると考えます。最初の問答は、共同問答として成立し、共同問答は、共有された問いとそれに対する答えとしての共有知として成立すると考えます。なぜなら、言語の発生は問答の発生であり、言語は他者との意思疎通のために生じた言えるから、問答も他者との意思疎通のために生じ、共同問答として生じたと思われるからです。問答には自分との自問自答もありますが、個人が行う最初の問答は、他者との問答であろうと思います。他者との問答が成立するとき、それは常に共同問答として成立します。個人の知や自問自答は、共有知や共有問答からの分離によって成立するのだと思われます。>

さて、以上の予測を、もう少し詳しく説明したいと思います。

まず、言語共同体の中で既にその言語を習得している二人が問答する場合を考えましょう。一方が他方に問い、他方がそれに答えること、が成立するには、他者に問われた者が、その問いを理解しなければなりません。答える者がその問いを理解していなければ、その問いに答えることはできません。問われたものがその問いに答えるとき、問うた者は、答える者がその問いを理解したと考えていなければ、その発話を、自分の問いへの答えとして認めることはできません。つまり、問答が成立するには、問いを二人が同じ仕方で理解し、しかもそのことを二人が知っている必要があります。答えについても同様のことが言えます。問うた者は、相手の発話を自分の問いへの答えとして捉えることが必要であり、答える者の発話が、その問いへの答えとなっていることを二人か理解すると同時に、そのことを二人が知っている必要があります。こうして、他者との問答が成立するには、問いと答えと問答関係について、両者が知っており、かつこのことが共有知になっている必要があります。つまり<他者との問答は、共有問答として成立する>のです。

この説明は、共有知の成立を前提とします。しかし、もし共有問答によって、最初の共有知が成立するのだとすると、共有問答の成立が問いの共有知を前提するということと矛盾ます。共有地の説明が共有知を前提とするという循環、あるいは、共有知の無限遡行は、どのようにして回避されるのでしょうか。それは最初の問いの共有知が、予測として成立し、予測誤差最小化メカニズムによってより確かなものになる、と考えることで回避できます。

予測として成立するのは、最初の問いの共有知に限りませんし、また問いの共有知にも限りません。おそらくすべての共有知について成り立つでしょう。

私たちは、共有知をモデルとして想定します。つまり自分と他者がある知を共有していることを想定します。他者の心の中はわからないので、他者が私とある知を要求していることを想定するだけです。ここで想定するのは、知を共有していることと、その知がある然々の内容をもつこと(たとえば、「二人がコップを見ている」という内容です。ここで重要なことは次です。

<共有知を想定をしているのは、個人です。しかし、その想定が間違いなら、これは知ではありません。つまりこれは共有知でもないし個人の知でもありません。他方、この想定が正しいなら、これは共有知であって、個人の知ではありません。したがって、いずれにせよ、これは個人の知ではありません。繰り返しになりますが、共有知の予測が正しければ、これは共有知であり、予測が間違いなら、これは共有知ではありません(個人の知でもありません)。>

共有知を想定するのは個人の頭脳の予測誤差最小化メカニズムです。共有知の予測誤差最小化メカニズムでは、ミラー・ニューロンも働いているだろうと思います(共有知に対するミラー・ニューロンの貢献は別途考察する必要があります)が、それでもそれは確かに個人の頭脳内のメカニズムです。ちなみに、この予測誤差最小化メカニズムは、無意識的なメカニズムだと思います。

では、言語が発生するときの最初の共有問答は、どのような内容になるのでしょうか。これについて、次に考えたいと思います。