60 共有問答と共有知について (20230108)

[カテゴリー:人はなぜ問うのか?]

2023年、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

今年こそ、意識と言語の発生メカニズムが明らかになることを願います。

私は、言語の発生は問答の発生である、と推測します。では、問答はどのように発生するのでしょうか。人はなぜ問うのでしょうか。以下は、私の現在の単なる予測であって、証明できているものではありません。

<知は、個人の知であれ、共有知であれ、相関質問への答えとして成立する、つまり問答として成立すると考えます。最初の問答は、共同問答として成立し、共同問答は、共有された問いとそれに対する答えとしての共有知として成立すると考えます。なぜなら、言語の発生は問答の発生であり、言語は他者との意思疎通のために生じた言えるから、問答も他者との意思疎通のために生じ、共同問答として生じたと思われるからです。問答には自分との自問自答もありますが、個人が行う最初の問答は、他者との問答であろうと思います。他者との問答が成立するとき、それは常に共同問答として成立します。個人の知や自問自答は、共有知や共有問答からの分離によって成立するのだと思われます。>

さて、以上の予測を、もう少し詳しく説明したいと思います。

まず、言語共同体の中で既にその言語を習得している二人が問答する場合を考えましょう。一方が他方に問い、他方がそれに答えること、が成立するには、他者に問われた者が、その問いを理解しなければなりません。答える者がその問いを理解していなければ、その問いに答えることはできません。問われたものがその問いに答えるとき、問うた者は、答える者がその問いを理解したと考えていなければ、その発話を、自分の問いへの答えとして認めることはできません。つまり、問答が成立するには、問いを二人が同じ仕方で理解し、しかもそのことを二人が知っている必要があります。答えについても同様のことが言えます。問うた者は、相手の発話を自分の問いへの答えとして捉えることが必要であり、答える者の発話が、その問いへの答えとなっていることを二人か理解すると同時に、そのことを二人が知っている必要があります。こうして、他者との問答が成立するには、問いと答えと問答関係について、両者が知っており、かつこのことが共有知になっている必要があります。つまり<他者との問答は、共有問答として成立する>のです。

この説明は、共有知の成立を前提とします。しかし、もし共有問答によって、最初の共有知が成立するのだとすると、共有問答の成立が問いの共有知を前提するということと矛盾ます。共有地の説明が共有知を前提とするという循環、あるいは、共有知の無限遡行は、どのようにして回避されるのでしょうか。それは最初の問いの共有知が、予測として成立し、予測誤差最小化メカニズムによってより確かなものになる、と考えることで回避できます。

予測として成立するのは、最初の問いの共有知に限りませんし、また問いの共有知にも限りません。おそらくすべての共有知について成り立つでしょう。

私たちは、共有知をモデルとして想定します。つまり自分と他者がある知を共有していることを想定します。他者の心の中はわからないので、他者が私とある知を要求していることを想定するだけです。ここで想定するのは、知を共有していることと、その知がある然々の内容をもつこと(たとえば、「二人がコップを見ている」という内容です。ここで重要なことは次です。

<共有知を想定をしているのは、個人です。しかし、その想定が間違いなら、これは知ではありません。つまりこれは共有知でもないし個人の知でもありません。他方、この想定が正しいなら、これは共有知であって、個人の知ではありません。したがって、いずれにせよ、これは個人の知ではありません。繰り返しになりますが、共有知の予測が正しければ、これは共有知であり、予測が間違いなら、これは共有知ではありません(個人の知でもありません)。>

共有知を想定するのは個人の頭脳の予測誤差最小化メカニズムです。共有知の予測誤差最小化メカニズムでは、ミラー・ニューロンも働いているだろうと思います(共有知に対するミラー・ニューロンの貢献は別途考察する必要があります)が、それでもそれは確かに個人の頭脳内のメカニズムです。ちなみに、この予測誤差最小化メカニズムは、無意識的なメカニズムだと思います。

では、言語が発生するときの最初の共有問答は、どのような内容になるのでしょうか。これについて、次に考えたいと思います。