実は、山にこもっていました。
今日は、演習のために、大阪に戻ってきましたが、明日からまた信州の山の中で考えます。
次回のupは連休明けになります。
前回からまた時間が経ってしまいました。
このところ、必要があって、別のことを考えていたので、この話題の勉強が進んでいません。
トマセロが「共同注意場面」と呼ぶもの、そしてその二つの特徴として述べていることは、私が「共有知」という言葉で呼びたいものを考えるときに、非常に重要になるとおもいます。このとき、私は大人の共同注意場面を考えています。もし、言葉を使用しはめるころの、幼児と大人の共同注意場面というものを考えるときには、我々は、言語の理解を前提しないように、注意しなければなりません。トマセロは、「言葉そのものを習得するためには、共同注意の活動が必要となる」128と述べています。したがって、共同注意場面も、言語習得に先立って成立しているものとして考えられているはずです。
そうすると、共同注意場面の二つの特徴についても、我々はもう少し、慎重に考える必要があります。この二つの特徴を考えたいのですが、うまい取っ掛かりが見つからないので、少し回り道ですが、こどもの言葉の習得過程について、ラフに概観しておきたいとおもいます。