<計画する人格>の同一性

 
 
厳寒に ゆっくり動く オブジェかな 
 
 
<計画する人格>の同一性
 
これまでの議論の流れの中で、<人格の長期の同一性>は社会制度に関係するものであり、<人格の中期の同一性>は、<計画する人格の同一性>であるとしたが、前回も触れたように<計画する人格の同一性>の中には社会制度に関係するものもあった。そこで、次のように修正しておきたい。
 
 
<計画する人格の同一性(中期と長期の同一性)>の下位分類として次の二つ、
  <社会制度に関わるもの(長期の同一性)>
  <社会制度に関わらないもの(中期の同一性)>
を区別する。
 
ところで、「明日同じ時間同じ場所で会いましょう」という約束をすることは、計画を立てることでもある。そこで、<社会制度に関わらない中期のもの>をさらに次の二つ区別したい。
  <単なる計画によって必要になる人格の同一性>
  <約束によって必要になる人格の同一性>
この二つは異質である。
そこで、もう一度分類を修正しておきたい。
 
<計画する人格の同一性(中期と長期の同一性)>の下位区分が
  <単に計画する人格の同一性>
  <約束する人格の同一性>
である。この<約束する人格の同一性>のさらに下位区分が
    <社会制度に関わる同一性(長期の同一性)>
    <社会制度に関わらない同一性>
である。
 
 
まず<約束による計画ではない単に計画する人格の同一性>から考えよう。
 
行為論では、行為内意図(intention in action)と事前意図(prior intention)を分ける。行為内意図とは、「何をしているの?」と問われて、「コーヒーを淹れているんだ」と即座に観察によらずに答えられるのは、「コーヒーを淹れる」という意図をもって私が行為しているからである。このような行為を構成している意図を行為内意図と呼ぶ。それに対して、「お湯が沸いたら、お風呂に入ろう」と意図しているが、まだお湯が沸いていないのでTVを見ながら待っているとき、「お風呂に入ろう」という意図は、「事前意図」である。 
計画は、行為内意図だろうか、事前意図であろうか。普通に考えれば、「今度の日曜日に買い物をしよう」というような計画は、事前意図である。しかし、全ての計画が事前意図であるのではない。上の計画に基づいて、私が今自動車でショッピングセンターに向かっているところだとしよう。私は、すでに計画を実行中である。しかし、まだ買い物は完了していない。この場合には、計画は行為内意図である。
 
今が金曜日で、次のように考えたとしよう。
  ①日曜日に買い物をしよう
これは金曜日と土曜日には、計画であり、かつ事前意図である。
 
さて、日曜日になり、今まさに私は自動車でまさにショッピングセンターに向かっているとしよう。
  ②今日は買い物をしよう
これは、現在進行中の計画である。これは「買い物をする」という行為内意図である。
  ③自動車でショッピングセンターに向かう
これは計画(これは②の計画の部分計画である)であると同時に現在の行為内意図である。
  ④ショッピングセンターについたら4階へ行こう。
これは計画(これは②の計画の部分計画である)であると同時に事前意図である。 
 
整理するとこうなる。ある計画が進行中である時、その計画は行為内意図である。そのとき、その計画のさまざまな部分計画の内のあるものは、行為内意図であり、他のものは、事前意図である。
 
ところで金曜日と土曜日には、①の計画は事前意図である。しかし、事前意図を持つとき、その行為はまだ開始されていないが、私の行為は、計画を立てること(事前意図をもつこと)によって拘束される。つまり①のような計画を立てたならば、(計画を変更する場合を除いて)土曜日に23日の旅行に出発したりしない。つまり、事前意図段階の計画も人の行為を拘束する。その拘束がその間の人格の同一性を必要とするものであり、また人格の同一性を構成するものである。もちろん実行中の計画もまた同様に人格の同一性を要求し、かつ構成する。計画設定から計画完了までの行為の拘束は、このような意味で人格の同一性を構成する。
 
つぎに、このような計画が、問答とどのように関係しているのかを考えよう。