日本における人文社会科学の課題の大転換

                新しき 書庫を立ち上げる 七夕の日、
 
 
01 日本における人文社会科学の課題の大転換 (20120707)
 
(以下の主張は、Pacific Division of APA in Seattle, April 6. 2012、での発表“Philosophy in Japan after the WW II”の一部を書き換えたものです。)
 
(1)明治維新以後、日本の人文社会科学にとって、あるいは日本社会にとって、重要な問いは次の二つでした。(これは他の非西洋国にも共通の問いであるかもしれません。)
  ・「西洋近代とはなにか」
  ・「私たちは西洋近代にどう対応すべきか」
 
(a)「西洋近代とはなにか」
日本の大学では明治以後、「西洋(西洋近代)とは何か」を知るために、西洋社会や西洋文化の研究に力を注いできた。(哲学研究でも同様であり、明治以来の日本の思想界にとっては、西洋思想を理解することが非常に重要な課題であり、それは戦後も変わらなかった。戦前から現代にいたるまで、日本における哲学研究の主流は西洋哲学史の研究である。)これは、西洋にどう向き合うかを考えるために、あるいは西洋に追いつき追い越すために、不可欠な研究だったのです。)
(b)「私たちは西洋近代(その哲学)にどう対応すべきか」
 私たちは、西洋近代社会の特徴は、個人主義、民主主義、資本主義、合理主義、科学技術などとして理解してきました。そして、私たちは、これらに対してどう対応すべきか、を問うてきました。それに対する答えは、主に次の3つに分けることができます。
  ①近代主義
  ②復古主義(東洋思想、日本思想)
  ③マルクス主義
この傾向は、第二次世界大戦を挟んでも変わりませんでした。
 
(2)しかし、このような状況は1990年頃に大きく変化しました。その原因の一つは、冷戦の終わりです。これによって③のマルクス主義は力をうしないました。私たちは、それによって社会と歴史についての大きな物語を失いました。他方で、欧米社会を追いつき追い越すべきモデルとして考えた①の近代主義も力を失うことになりました。なぜなら、日本社会はバブルの時期に経済的に欧米社会に追いついたために、欧米社会は、日本が抱える問題を解決するための手本とはなりえなくなったからです。もちろん個別的には、欧米の様々な制度や文化が目指すべきモデルであり続けていますが、社会全体のモデルにはなりえないのです。これは、明治以後の日本にとって初めての状況です。②の復古主義も力を持ちません。バブルのころには一時「日本回帰」が言われて復古主義者たちが力を持ちそうになったことがありました。しかし、グローバル化の時代に突入すると、伝統的なものの復活で対応できないことは自明になったからです。こうして1990年以後には、①②③は答えとなりえなくなった。
 しかし、それだけではありません。実は「私たちは西洋近代にどう対応すべきか」という問いの重要性が失われたのです。それに代わって、緊急の課題として登場した問いが、次の二つです。
  ・「グローバル化とは何か」>

  ・「私たちはグローバルカにどう対応すべきか」
「西洋近代とは何か」よりも「グローバライゼーションとは何か」の方がより重要な緊急の問いになったのです。
 こうして日本における人文社会科学が答えるべき最重要の課題は、大きく転換しました。ヨーロッパ研究の学問は社会的な緊急性を失いました。というよりも、かつて普遍性を主張していたそれらの学問が、ヨーロッパ研究になってしまったのです。
 
 こちらの書庫はどのくらいの頻度で書き込めるか、未定ですが、頑張ります。