07 価値尺度と功利主義

 
 
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07 価値尺度と功利主義 (20130708)
 
すべての商品の価値が貨幣で図られる時、そこでは使用価値の差異は無視されます。功利主義者が、快楽や幸福の質を区別せず、すべての快楽や幸福を量で測れると考えたことは、すべての商品の使用価値の質の違いを無視して、すべての商品をその交換価値の量で測れると考えたことと似ています。交換価値の同じ商品が交換可能であるのと同じく、量の同じ快楽や幸福は交換可能なものと見なされます。
 
私があるお金を持っている時、それでどの商品を買うかは、私の自由です。そのとき、私がどの商品を買うかで私の快楽や幸福の質は異なります。それだけでなく、そのとき何を買うかで私の快楽および幸福の量も変化します。
 
あるお金で買える商品によって得られる満足は、どの商品を買っても同じというわけではありません。もしそうならば、店先でどれを買うかで悩んだりしないでしょう。選好に個人差があるということももちろんですが、限界効用逓減の法則があるからです。一杯目のコーヒーも二杯目のコーヒーも同じ値段であるが、二杯目のコーヒーのもたらす満足は、一杯目のコーヒーのもたらす満足よりも少なくなります。これが、限界効用逓減の法則です。そこで経済学では、ひとは、一定の金を使うときには、ひとつないし少数の商品ばかりを買うのではなくて、様々な商品買うことによって、貨幣単位あたりの限界効用が最大になるような仕方で消費すると考えます。
 
私たちにとっての快楽や幸福は、私が自由に選択できるものであす。その限りで、逆にいうと私はその快楽や幸福を選ばないこともできたということですから、それらの快楽や幸福から自由であるということです。私にとって不可欠な快楽や幸福と私にとって偶然的な快楽や幸福の区別は、功利主義者にはないのです。そこにあるのは量的な区別だけであって、質的な区別はないからです。
 
快楽や幸福を選択する私は、その限りで快苦から独立な自己です。売買できる能力や権利をもつ主体が存在すること、つまり功利計算ができる理性的で自由な選択の主体が存在することは、資本主義社会にとっても、功利主義にとっても、社会の不可欠な前提条件です。